2009年2月8日日曜日

説教集B年: 2006年2月5日、年間第5主日 (三ケ日)

朗読聖書: Ⅰ. ヨブ 7: 1~4, 6~7. Ⅱ. コリント前 9: 16~19, 22~23.
Ⅲ. マルコ福音 1: 29~39.

① 本日の第一朗読は、神に忠実に仕えつつ熱心に働いていたヨブが、罪なしに次々と大災害に見舞われ、日々恐ろしい病苦と激しい苦痛に呻吟しながら、この苦しみの世について嘆いた長い話の一端ですが、私は司祭に叙階される2年ほど前に、初めてヨブ記を読んで驚いたことを、今懐かしく思い出します。そこに登場するヨブの三人の友人は悪人ではなく、皆神に忠実に生きようとしている善人で、例えばヨブ記8章に読まれるように、「あなたの子らが神に対して何か過ちを犯したから」罰せられたのであって、「あなたが神を捜し求め、全能者に憐れみを乞うなら、」「神は必ずあなたを顧み、」「あなたの家を元通りにして下さる」などと、災害や病気は何か隠れた罪の行いのために与えられたのだから、謙虚に神に詫びて憐れみを乞うなら癒されると、ヨブに勧めています。それらは友人ヨブに対する大きな愛からの言葉でしたが、ヨブはその勧めには従おうとせず、ひたすら自分も子らも個人としては神に対して罪を犯していないと考える立場から、自分に与えられた恐ろしい苦難の意味を問い続けます。そしてたとえ個人としては罪を犯していなくとも、何か人間存在そのものが神に背く悲惨な状態にあることを、次第に明るみに出して行ったように見えます。そして人間存在のその罪ゆえにこの世の人生が労苦に満ちたものになっていることを、嘆き続けます。
② ヨブ記は42章に及ぶ長い詩文ですので、史実の描写ではなく、義人の受ける苦しみの意味を教えようとした文学作品であると思われますが、旧約の神の民の伝承の中には、太祖アブラハムも、エジプトへ売られたヨゼフも、またその後のトビトや預言者たちの中にも、罪なしに恐ろしい苦しみを受けた話がありますから、ヨブ記は義人の受けるそのような苦しみの意味を、深い次元で考えさせるために書かれた作品ではないでしょうか。自分にこの恐ろしい苦しみが与えられたのは、何か罪を犯したからだなどと、神に対する個人倫理や勧善懲悪の問題という観点だけから考えないよう気をつけましょう。神はご自身の御心を最も安んずる人にも、人々からの恐ろしい誤解や災害などの苦しみをお与えになる方なのです。多くの人の救いのために、また全人類に豊かな祝福を与えるために。信仰に生きる人に与えられるその苦しみは、神の恵みの現れに他なりません。もし私たちがそのような苦難に出遭うなら、たじろがずに、感謝と将来への希望のうちに、その苦難を受けるよう心がけましょう。
③ 特に寒さの厳しい冬の時期、私たちは日々の祈りの中で、時々罹災者や難民、あるいはホームレスの人たちのために神に助けを祈り求めていますが、第一朗読にあるようなヨブの言葉を読む時、私は、他に逃げ場のないその人たちの暗い苦しい人生と、その中での悲嘆や悩みに思いを馳せてしまいます。私は名古屋で幾度もホームレスの人たちの集う「いこいの家」に物資を届けたり、二、三度その人たちと話し合ったりしており、大阪の西成地区を二度訪れて食事をしたり、東京の山谷地区を見に行ったりしていますが、日本の高度経済成長を下から支えて生きてきたその人たちの顔を見ていると、明日の生活も不安な実態なのに、互いに励まし合いながらその不安と苦しみに耐えているように思われ、どことなく人生苦に前向きに立ち向かっている逞しさも感じられます。これからもそういう人たちのために、神の恵みと助けを希望のうちに祈り続けましょう。
④ 本日の第二朗読の中で使徒パウロは、「私は誰に対しても自由な者ですが、すべての人の奴隷になりました。できるだけ多くの人を得るためです。弱い人に対しては、弱い人のようになりました。弱い人を得るためです」「福音のためなら、私はどんなことでもします。云々」と、非常に積極的な行動姿勢を明言しています。すでに人生の終末期に足を踏み入れている私たちには、そのような若さは無理ですが、せめて今困っている人たち、今苦しんでいる人たちの上に神の恵みを祈り求めることは、可能だと思います。歳は進んでも、このような心の若さは失わないように心がけましょう。
⑤ 本日の福音の始めに述べられている治療は、一つの奇跡であったと思います。一週間前の福音にあるように、会堂で悪魔憑きが奇跡的に癒されたので、シモン・ペトロは、姑がおそらく高熱を出して寝ている自分の家に主をお連れして、主に彼女の病気のことを話したのでしょう。主が手を取って彼女を起こされると、すぐに熱が去り、彼女は一同をもてなしたとあります。熱病患者は、高熱が下がってもしばらくはそのまま寝ていないと、ふらふらしてとても皆の食事に奉仕することはできません。それなのに、安息日の会堂礼拝が終わって、おそらくちょうどお昼頃にペトロの家に来たと思われる一行の食事に、すぐに奉仕したのですから、驚きます。癒されて神を讃美したり主に感謝したりする話は一切抜きにして、ただ簡潔に事実を伝えているだけですが、「一同をもてなした」ことが、即時の完全な癒しの証明になっていると思います。この「もてなす」という行為が、主に従って豊かに恵みを受ける女性たちの姿を示しているのではないでしょうか。主の働きに下から黙々と奉仕する実践に生きる者たちの所に、主もよくお出で下さいます。主がカファルナウムではペトロの家に宿泊されることが多かったのは、そのためだと思われます。私たちも、同じ実践に生きるよう心がけましょう。
⑥ 本日の福音は、午前に始まって翌日の朝までの、時間的には24時間以内の出来事を報じていますが、安息日明けの日没後に、町中の人がペトロの家の戸口に集まり、大勢の病人や悪霊に憑かれている人を連れて来て癒していただいたという話には、その表現に多少の誇張があるとしても、人々にそのような印象を与えた出来事のあったことは事実だと思います。通常の平穏な時代には、一つの町にそんなに多くの病人も悪魔憑きもいません。しかし、以前にも話したように、キリスト時代は古代における一つの大きな過渡期で、人口が大きく流動化していた時です。東西交流が盛んで、シルクロードを行き来する人も多く、鳥インフルエンザのようなアジアの病気が、食生活の異なるオリエント地方に伝えられたことも考えられます。歴史時代にも、ペストがわずかの間に数百万人、数千万人もの命を奪ったことがあり、天然痘が猛威をふるったこともあります。それほどの恐ろしい伝染病ではないにしても、キリスト時代にも、それまでの伝統的な薬では治りにくい熱病が、抵抗力の弱い子供や老人たちの間に流行っていたかも知れません。また福音書に、悪魔憑きが多くいたように書かれているのは確かに異常ですが、神の子自身の来臨を考慮すると、大勢の悪魔が活発に動きまわったと思われる当時のユダヤは、この点でもかなり異常な状態だったかも知れません。今の時代の尺度でキリスト時代のユダヤ社会を考えないよう、判断には慎重でありましょう。
⑦ ところで、病気の癒しや悪霊の追放は神の国が今ここに来ていることの証であり、主の宣教の一つの手段でしかありません。主は、慈善事業を目的としてこの世に来臨なされたのではありませんから。「悔い改めて福音を信じなさい」という主の要求を実践的に受け入れ、信仰と愛の実を結ぶよう努めなければ、主はその人たちの地を去って行かれることでしょう。主は、何よりも神の国を宣教し人々の心の中に根付かせるために、そして神の愛の実を豊かに結ばせるためにこの世に来られたのですから。本日の福音の後半は、主が最初の弟子たちにそのことを悟らせようとしておられたことを示しています。私たちも、慈善活動は主が教会を設立なされた本来の目的ではなく、一つの手段に過ぎないことを心に銘記しつつ、何よりも神が求めておられる信仰と愛の心の実を結ぶことに、そしてその信仰と愛の命を多くの人の心に根付かせることに励みましょう。