2010年7月18日日曜日

説教集C年: 2007年7月22日 (日)、2007年間第16主日(三ケ日)

朗読聖書: Ⅰ. 創世記 18: 1~10a.  Ⅱ. コロサイ 1: 24~28.
     Ⅲ. ルカ福音書 10: 38~42.


① 新約聖書が書かれた時代のローマ史、特にオリエント諸地方の社会的状況を細かく調べてみますと、それはある意味で現代世界・現代社会を先取りした一つの雛形のような印象を受けます。それまでの各国、各民族・部族毎の伝統的文化や慣習、価値観などは、シルクロードの開発や各種の発明などで急速に広まって来た国際的経済交流や文化交流により、時代遅れのものと見做されたり、軽視されたりするようになり、多くの若者たち、特に能力ある者たちは、積極的に新しい技術や、新しい商品・文化・価値観などを捜し求め、新しい流行、新しい流れの中で生活しようと努めていたように思われます。

② このことは、新約聖書の中にもいろいろな形で反映しています。例えば本日の福音の少し後のルカ福音12章には、明日の食事のことで思い煩う無産者たちに、主が父なる神の摂理に対する信頼心を強調したり、盗人がいつ来るか分らないので腰に帯をしめ、目を覚ましているようにと警告したり、忠実な僕と不忠実な僕の譬え話をしたり、「今から後、一家に5人の者がいるなら、三人は二人に、二人は三人に対立して分かれる。父は子に、子は父に、母は娘に、娘は母に、姑は嫁に、嫁は姑に対立して分かれるであろう」などと話したりしておられます。これらのことは、現代社会にも到る所で頻発している現象ではないでしょうか。もう長年来の伝統的社会秩序がよく守られているような落ち着いた時代ではないのです。同じ家に生まれ育った兄弟姉妹であっても、性格も好みも価値観も大きく異なっていることが珍しくありません。親子であっても同様です。ですから、主が話された「放蕩息子の譬え話」にある親子の考えの違いや、兄弟の考えや性格の違いなどは、現実にも大いにあり得たことだと思います。現代社会においても同様ではないでしょうか。

③ 本日の福音も、このような大きな社会的過渡期の流れの中で、受け止めたいと思います。主が弟子たちを連れてやって来た村は、エルサレムに近いベタニヤという村でした。そこにはラザロという、多分富裕な貿易商と思われる人が大きな家屋敷を構えていて、いつも主の一行を快く泊めてくれていました。主のご受難の少し前に、このラザロが死んで屋敷内の墓に葬られていたのを、主が蘇らせた話がヨハネ11章に書かれていますが、そこにもマルタとマリアの姉妹が登場しています。福音書には、罪の女マグダラのマリアもいて、主によってその心の罪から救われたこの女が、主の受難死と復活の時にも主に忠実に留まり続けて活躍したように描かれていますが、同じ古代末期の崩れ行く社会の中に生まれ育ち、4世紀後半に長年エルサレムにあって新約聖書をラテン語に翻訳したり、聖書の注解書を著したりした聖ヒエロニモは、このマグダラのマリアとラザロの妹マリアとを、同一人物としています。しかし、社会体制も社会道徳も比較的安定していた時代しか知らないある聖書学者が、この二人が同一人物であるとは考えられないという仮説を唱えたことがありました。確かに、首都圏の立派な資産家の家に生まれ育った女が、貧しい家の出身者が多い遊女の間に生活する程に身を持ち崩し、社会からも「罪の女」として後ろ指を指されるに到ったなどということは、通常には考えられないことですが、しかし、社会全体が根底から文化的液状化現象で揺らぎ、社会道徳も心の教育も、基盤とする権威を失って崩壊しつつあるような時代には、現代においても起こり得るのではないでしょうか。良家の娘が家出をしたりした話は、現代にもたくさんありますから。

④ 本日の福音に戻りますと、罪の女の生活から足を洗って元の家に戻っている、そのマリアがいる家に主が弟子たちを連れてやって来ました。妹と違って伝統的良風を堅持し、家事を任せられていたと思われるマルタは、突然の客たちの夕食の準備で大忙しであったと思われます。ルカ福音書8章の始めには、「悪霊や病気から救われた数名の婦人たち、すなわち七つの悪魔を追い出してもらったマグダラのマリアと、ヘロデの家令クーザの妻ヨハンナ、それにスザンナ」たちも主と弟子たちの一行の「お供をした。彼女たちは、自分たちの財産を出し合って一同に奉仕していた」とありますから、この時も数人の婦人たちがマルタのお手伝いをしていて、マルタは決して一人で食事や宿泊の準備をしていた訳ではないと思われます。マルタという名前は、当時シリア、パレスチナ地方に住んでいた庶民、異教徒もユダヤ人もごく一般的に話していたアラム語で「女主人」の意味だそうですが、家のことは自分が一番よく知っているのですから、マルタは名実共に女主人として、本日の福音の40節にありますように、「いろいろのもてなしのため、せわしく立ち働いていた」のだと思います。せわしく立ち働く(ペリスパオー)というギリシャ語原文の動詞は、ペリ(周囲に)とスパオー(引き離す)という二つの単語の合成語ですから、マルタは、他所から来た婦人たちにいろいろと指示を与えながら、周囲の雑事に囚われて、心が散り散りになっていたのかも知れません。

⑤ ところが、自分の家のことをよく知る妹のマリアは婦人たちと一緒に手伝おうとせず、広間で主の弟子たちと一緒に、主の足元に座して、主の話を聞き入っていました。当時の伝統的慣習では、女性は公的なシナゴガだけではなく、個人宅の広間などでも客人の男性たちの間に一人で入り混じって話を聞いたり論じ合ったりすることは、慎みに欠ける行為とされていました。当時の律法学者たちが、律法の教えを学ぶことは男の務めであって、女性にはふさわしくないと教えていたからでもあると思います。伝統的慎みの慣習を重視していたと思われるマルタは、折角自宅に戻って来た妹のそのような慎みを欠く行為を見て、できれば一言すぐに注意したかったでしょうが、主のすぐ真ん前ですし、主が何もおっしゃらないので、暫くは見て見ぬふりをしていたのかも知れません。しかし、遂に我慢できなくなったのだと思います。主のお側に近寄って「主よ、妹が私だけにもてなしをさせていますが、何ともお思いになりませんか。手伝ってくれるようにおっしゃって下さい」と申しました。

⑥ 主はそれに対して「マルタ、マルタ」と二度も名前を呼んでいますが、これはマルタへの親しみの情の表現だと思います。「あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している。しかし、必要なことはただ一つだけである」というお言葉は、今の私たちにとっても忘れてならないお言葉だと思います。私たちも、神に捧げる祈りや典礼のことで、間違わないようにいろいろと細かく配慮しますし、客人のもてなしや隣人との人間関係のためにも、人から良く思われるようにと種々配慮しています。その配慮は必要でありますが、しかし、そのことで心を乱し、客人に対する接待を喜びの心のこもらないものにしてはならないというのが、主の教えではないでしょうか。外的この世的配慮の価値は、それらの配慮や奉仕に込める神や客人への感謝と愛にあると思います。人と人の考えや好みや価値観などが大きく多様化するような時代には、この本質を念頭において、外的この世的不完全さに心を乱さずに、ひたすら神の方に眼を向けて、喜んでなす奉仕愛に生きるように、というのが主のお勧めなのではないでしょうか。

⑦ 最後に「マリアは良い方を選んだ。それを取り上げてはならない」というお言葉も、大切だと思います。ここで「良い方」とある言葉は、何を指しているのでしょうか。いろいろと意見があるでしょうが、私はこれを、昔ある人たちが考えたような観想生活のことではなく、自分に対する主の御言葉、神からの呼びかけなどを指していると思います。罪から立ち上がる恵みを得たマリアは、ひたすら神よりの呼びかけにのみ心を向けて生きようとしていたのではないでしょうか。女性を家事や子育てだけに閉じ込めて来た旧来の伝統に反対し、いわば自分も主の女弟子になって、男たちと共に主のお言葉を聴聞し、その証し人になることを望んでいたのかも知れません。主はその大胆な試みを快く容認なされ、そのことを「良い方」と表現なされたのかも知れません。この世の伝統的やり方や考え方を最高の基準とせず、その人が神を愛し神に従おうとしているなら、その人のそのような心がけを是とし、多少の不完全があるとしても心を大きく開いて容認致しましょう。それが、人間がそれぞれ極度に多様化する大きな過渡期に、主が多種多様な個性的人々を救うためにお示しになった生き方だと思います。現代もそのような大きな過渡期と言ってよいと思います。私たちも主のそのような心の広い生き方を身につけるよう心がけましょう。