2011年7月24日日曜日

説教集A年:2008年7月27日年間第17主日(三ケ日)

第1朗読 列王記上 3章5、7~12節
第2朗読 ローマの信徒への手紙 8章28~30節
福音朗読 マタイによる福音書 13章44~52節

① 本日の第一朗読は、ダビデの王位を継承して間もない頃のソロモン王が、エルサレムの北10キロ程のギブオンという町で神に祈った願いと、その願いを喜ばれた神の御言葉であります。エルサレムに神殿が建設される以前のことなので、ソロモン王は、昔カナアン人が神に祈っていた聖なる高台のあるギブオンに来て、太祖アブラハムらの神にいけにえをささげて祈ったのだと思います。するとその夜、主がソロモンの夢枕に立ち、「何事でも願うがよい。あなたに与えよう」とおっしゃったので、ソロモンは民からの訴えを正しく聞き分ける心の知恵を願いました。長寿や富や敵に対する勝利などではなく、心の知恵を願ったことをお喜びになった神は、「今あなたに知恵に満ちた賢明な心を与える。あなたの先にも後にもあなたに並ぶ者はいない」とおっしゃり、実際に驚く程優れた知恵をお与えになったようです。

② 申命記8章の前半には、神から賜る豊かな「約束の地」についてのモーセの描写がありますが、その最後に「石は鉄を含み、山からは銅が採れる土地である」という言葉が読まれます。ソロモン王はこの言葉に基づいて、ネゲブ砂漠の南部、紅海のアカバ湾に近い地方一帯から、鉄と銅の大鉱脈を発見し、古代オリエントで最大の製錬能力を持つ大溶鉱炉を造って、巨万の富を築いたようです。「ソロモンの栄華」という言葉はその後の歴史の中で度々人々の口にされていますが、紀元前10世紀という遠い昔の話なので、その実態はほとんど知られずにいました。しかし、第一次世界大戦でオスマントルコ帝国が滅び、エジプトとパレスティナ諸国が英国の統治に委任されると、複数のアメリカ探検隊が聖地とその周辺地域の発掘探検に従事して、ネゲブ砂漠南部の砂の下から鉄と銅の豊富な鉱脈の発掘跡を発見しました。大きな溶鉱炉や鋳造用の鋳型の跡、並びに累々と続く壁の残骸や大量の緑の鉱滓(こうし)なども発見されました。その作業場は、北方の山からWadiと呼ばれる広い谷へとほとんどいつも風が吹き下ろしている所にあって、溶鉱炉は、火口と煙突を南北一直線に配置した形で並んでいました。これは、19世紀に近代産業を一段と発展させたBessemer溶鉱炉と同じ方式で、間断なく吹き下ろす風にフイゴの役をさせるシステムであります。各溶鉱炉の溶融壺は14立方フィートで、古代の製銅業の中心であったバビロニアやエジプトにも、その他のどこにもこれほど大きな溶鉱炉は発見されていないそうです。

③ ソロモンはまた、この鉱山から得た富でEzeon-Geberに造船場を建設し、ティルスの国王から派遣されたフェニキア人技師たちの協力を得て、遠洋航海用の大船10隻を建造し、フェニキア人の船長たちを雇ってOphirの国と貿易をしました。その国は、当時フェニキア船が商業を独占していた地中海沿岸にはなく、紅海から赤道を越えて南下したアフリカ東海岸にあった国のようです。多くの学者は、その国をマダガスカル島の対岸に当たる現代のモザンビークの南端辺りにあった国ではないか、と考えています。そこには数千年前に金銀が採掘された鉱業設備の跡があり、一部にフェニキア特有の特色も見られるそうですから。10隻の船団は、大量の金銀・象牙や猿などの他に、当時はアフリカにしかいなかった珍しい孔雀も運んで来ましたが、夏の炎暑をできるだけ避けるために、11月頃に出発して三年目の5月頃に帰着したのではないか、と推測されています。としますと、3年に1度の往復になります。40年間王位にあったソロモン時代に何回往復したのか知りませんが、この船団のもたらした莫大な富によって、ソロモンはオリエント諸国の内で最も豊かな国王となり、15万人の労働者を7年間働かせて、豪華なエルサレム神殿と自分の王宮を建設させています。しかし、その大きな富故に周辺諸国の国王たちから王女を贈られ、異教の儀式にも参加したり協力したりして、遂に天罰を受けるに到りました。神への徹底した従順が最も大切だと思います。

④ 本日の第二朗読には、「神を愛する者たち」「には、万事が益となるように共に働く」という言葉が読まれます。これは、数多くの体験に基づく使徒パウロの確信だと思います。しかし、ここで言われている「万事」には、喜ばしい成功や楽しい幸運だけではなく、悲しい失敗や日々の労苦、災害・貧困などの、耐えがたい苦しみも含まれていることを見落とさないようにしましょう。神はご自分を愛する者たちを、「御子の姿に似たものにしようと」それらの苦しみをもお与え下さるのです。ソロモン王のように成功から成功への道を歩んでいますと、日々神を崇め神に感謝していても、悪魔の蒔いた毒麦に取り囲まれた時に、それに打ち勝つ力を失ってしまいます。神が日々お与え下さる労苦・失敗・苦難などに感謝し、それらを喜んで耐え忍ぶよう心がけましょう。

⑤ 悪魔は、伝統的共同体精神が内面から崩れつつある、現代の自由主義・個人主義横行社会の中で、昔とは比較できない程積極的に毒麦の種を蒔いていると思います。豊かさ便利さの中に生まれ育ち、自分の心の欲求や自主独立権にだけ眼を向けていますと、人前では日頃どんなにまじめに生活し、良い人間と思われていても、突然悪魔がその心に乗り移り思わぬ犯罪をさせることも起こり得ます。キリスト時代のオリエントでも、商工業の繁栄で人口移動が盛んになり、自由主義・個人主義の精神が広まると、社会的には立派な家庭と思われている家の子供に、放蕩息子のような欲求が芽を出したり、マグダラのマリアのように、心が七つの悪魔に乗り移られたりする人たちが珍しくなかったようです。

⑥ 現代社会も、そのキリスト時代の社会以上に過去の伝統が内側から瓦解する大きな過渡期の波に揉まれています。悪魔たちの蒔く毒麦に心を乗っ取られた人の犠牲にされる、という悲劇も激増しています。そういう悲劇を無くするため、事件を起こした人の考えなどを理知的にどれ程分析してみも、問題の解決は期待できません。こうすればこうなるという理知的な計算に基づいてなした行為ではなく、本人も自分でよく説明できない程異常な、心の衝動からなしてしまった行為だと思われるからです。毒麦を蒔いたのは悪魔であり、その悪魔に対抗する神の力を身につけなければ、この種の悲劇は、回避することも阻止することもできないと思われます。

⑦ 本日の福音に述べられている「畑に隠されている宝」や「高価な真珠」は、その神の力を意味していると思います。神の働きの現存に目覚め、神の力にしっかりと結ばれて神の御旨中心に生きようとしている魚たちは、心に悪魔からの毒を宿す魚たちと一緒に同じ海を泳ぎまわっていても、世の終わりの時天使たちによって天の国へと投げ入れられるでしょうが、そうでない魚たちは恐ろしい火に投げ込まれることでしょう。近年不可解な事件が多発しているのは、その時がいよいよ近づいて来ているという、一つの兆しかも知れません。私たちも悪魔の策動に陥れられないよう警戒し、日々神の働きに深く結ばれて生活していましょう。











余談になりますが、4世紀にローマ帝国がキリスト教迫害を止め、国を挙げてキリスト教を保護し始める、多少合理主義的な新しい秩序造りが軌道に乗ってきますと、コンスタンチノープルを中心とした東方教会で、悪霊を追い出してもらったマグダラの罪の女マリアと、富裕なベタニアの家に住むマルタの妹マリアとは別人であるという思想が起こり、東方教会では今もこの考えを続けています。しかし、4世紀の後半に聖地に滞在して主キリストに関する出来事を綿密に調査した聖ヒエロニムスは、両者は同一人物であると証言しています。社会が極度に流動化する大きな過渡期には、社会の秩序も心の教育も合理的に確立され安定している平和時代には考えられないような、不可解な現実が多発するのです。私たちの生活している現代社会も、そういう大きな過渡期の流動的社会だと思います。4世紀後半の聖アンブロジオ司教は、東方教会と西方教会の分裂を回避するためにも、マグダラのマリアについての考えは未決定のままにして置こうと提案し、ローマ教皇もそれに従っていましたが、200年程後の教皇聖グレゴリウス1世の時から、西方教会は聖ヒエロニムスの研究に基づいて、マグダラの罪の女マリアとベタニアのマリアとを同一人物とするようになりました。….