2014年2月11日火曜日

説教集A2011年:2011年2月11日ペトロ安井雅訓(まさのり)帰天七年の追悼式に



第1朗読 創世記 41.56-42.26
第2朗読 列王記上8・22-23、27-30
福音朗読 マルコ7・1-13

    七年前の216日に、神は晩年の数年間を信仰と希望の内に病と戦いながら、入退院を繰り返しておられたペトロ雅訓様を、天にお召しになりました。推察するに、今はあの世で先に洗礼を受けて天国に召された愛するペトロ謙様と共に、まだこの世にいる私たちのために祈っていて下さることと信じます。死別によって別れ、言葉を交わすことはできなくても、祈りは私たち相互の心と心を結ぶ絆として、神から与えられた恵みだと思います。カトリック司祭に叙階された私は、かつて教わったドイツ人宣教師たちの模範に倣って、毎週火曜日と金曜日のミサの中で、お先にあの世に召された霊魂たちのために個人的に祈りを捧げています。もちろんその中では雅訓様のためにも、合わせてあの世での御冥福をお祈りしています。長年このような慣習を大切にして続けていますと、これまでに幾度も数多く、あの世からの助け、導きと思われる小さな体験をしています。それで祈りはこの世とあの世とをつなぐ心のパイプであり、直接に言葉を交わすことはできなくても、神の霊が働いてこの世の私たちの思いをあの世の霊魂たちに伝え、あの世の霊魂たちの思いを現実的な助け、導きという形でこの世の私たちに届けて下さるのではないか、と度重なる小さな体験から確信しています。本日の私たちのこの祈りもあの世の雅訓様、謙様に届けられ、お二人は神の恵みを受けて喜んでおられ、あの世から私たちの無事と幸せを祈っておられることと信じます。

    話は違いますが、謙様、雅訓様が次々とあの世に召された後、この世の社会はまた一段と不穏なものとなりつつあるように覚えます。心に家庭や社会に対する不満を抱えている若者たちが、次第に増えて来ているように見えるからです。五年程前に日本青少年研究所が、日本・中国・アメリカの高校生それぞれ千人に対して、自分の親に対しての意識調査をしたことがありました。「将来自分の親が高齢になって手助けなしに生活できなくなった時、親の面倒をみるか」という問いに「みる」と答えた生徒は、中国では66%、アメリカでは46%なのに対して、日本ではわずか16%でした。核家族化して狭い家に住んでいる現代日本の住宅事情から、自分の家ではなくどこかの施設に入ってもらう、と考える日本人が多いのかも知れません。続いて「親は自分の子供に介護されることを喜ぶであろうか」という問いに対しても、中国とアメリカでは「喜ぶ」の返事が70%なのに、日本では30%だけでした。今の日本の若い世代における親子の心の断絶を示した衝撃的数値ですが、心理学者たちによるとその原因は、1歳から6歳頃までの心の情緒が発達する時期に、子供が一番必要としている親子の心の交流に不足している家庭が、最近の日本では極度に増えて来ていることにあるようです。五年程前の高校生たちは、1990年頃の経済的バブル崩壊前後に生まれたと思いますが、わが国ではそれ以前の高度成長期に都会での両親の共働きが定着し、日中子供を育児園に預けて働いた母親たちは、夜は食事の世話やテレビなどで時を過ごし、子供にもテレビや一人で遊べる様々の便利な遊び道具を与えることが多くて、親子の自由で親密な語らいや心の交わりに時間を割くことが少な過ぎたのではないかと思われます。成績重視・塾通いなどの……も。

    能力主義的日本社会に広まっている心の教育のこのような失陥は、高度に発達した現代技術文明が世界中に広まり、合理的能力主義や効率主義が全人類を支配するようになりますと、他の国々でも心の情操教育が疎かにされて、貧者や弱者に対する思いやりに欠ける人間や現代社会を憎む人間が多くなり、社会全体が次第に冷たくなって行くかも知れません。しかし、私たちは神から来世信仰の恵みを頂いています。祈りによってあの世の神、あの世の霊魂たちとの心の結びつきを深めるように努めましょう。日々よく祈る生き方を続けるなら、私たちはどんなに危険な状況や難しい事態に直面しても、あの世からの照らし、導き、助けなどを受けて、次々とそれらの難局を忍耐強く切り抜けることができると信じます。雅訓様、謙様も、その時はあの世から私たちを助けてくれると信じましょう。