2015年2月8日日曜日

説教集B2012年:2012年間第5主日(三ケ日)

第1朗読 ヨブ記 7章1~4、6~7節
第2朗読 コリントの信徒への手紙一 9章16~19、22~23節
福音朗読 マルコによる福音書 1章29~39節


   本日の第一朗読はヨブ記からの引用ですが、年齢が進んで書類や小物をどこかに置き忘れたり、普段と違う場所に仕舞い込んだりして、後でそれらの物を探すことの多くなった私は、ヨブがサタンの仕業で息子や娘たちを次々と悲惨な事件で失った時に言った言葉、「主与え、主取り去り給う。主の御名に讃美」という言葉を、その度毎に唱えていますので、この祈りを教えてくれたヨブ記には感謝しています。この祈りを口にして主を讃美しながら、主から頂戴した全ての事物に感謝しつつ探していますと、不思議なほど後でそれらの事物を発見します。時には他の人に迷惑をかけないギリギリの時点で、置き忘れた物を見出すこともあり、悪霊の仕業ではないとしても、主は年老いた私の心に主に対する信頼心を喚起するために、屡々このような物忘れという試練をお遣わしになるのではないか、などと考えています。
   本日の第一朗読は、ヨブの友人エリファズがヨブ記4章、5章に「罪のない人が滅ぼされ、正しい人が絶たれることがあろうか」という、世の人々が普通に考えている勧善懲悪の人生観に立って、ヨブは自分の意識していない何か隠れた罪のために神の愛を失って、恐ろしい罰を受けていると思ったのか、神がお与えになったその苦しみをひたすら謙虚に受け止め、全能の神の戒めに従う心を新たにするよう、長い詩句を連ねてヨブに勧めたのに応えて、ヨブが語った言葉であります。長年神とのパーソナルな愛の内に神と共に生き、神に忠実に生きて来たヨブは、この世の人間の勧善懲悪的人生観とは違う、神のパーソナルな愛の立場から自分の受けている苦しみについての神の答えを、求めているように見えます。
   ヨブ記38章以降の所で神は直接にヨブに語り、宇宙の創造主であられる神ご自身が、この世の出来事の万事において絶対権を持っておられることをお示しになると、ヨブは「私は軽々しくものを申しました」と恐縮しましたが、神は実際に何の罪も犯していない善人、ご自身が特別に愛しておられる人間に対しても、恐ろしい苦しみを与えることがお出来になる程、人間に対して絶対権を持っておられることを、また神から派遣される罪のないメシアにも、多くの人の救いのために恐ろしい苦しみを与えることがあることを、このヨブ記を通してお示しになったのだと思います。神はその後、勧善懲悪のこの世的価値観の立場からヨブに様々の勧めを語った三人の友人には夫々罰を与え、ヨブには以前にも増して大きな富と幸せをお与えになったことでヨブ記が終わっています。私たちも、自分の人生の意味や、自分がこれまでに為した数々の善業や奉仕活動の意味を考える時、この世の勧善懲悪的価値観や人生観に留まることなく、何よりも宇宙万物の創り主、所有主であられる神に対する感謝とパーソナルな愛の内に、日々の生活を神の御旨のままに営み捧げる決意を新たにするよう心掛けましょう。それが、何一つ罪を犯していない善人にも襲いかかる数々の苦しみを、主キリストと共に多くの人の救いのために耐え忍び乗り越えて、最後には神がお与えになる究極の大きな幸せに至る道であると信じます。

   本日の第二朗読の後半で使徒パウロは、「私は誰に対しても自由な者ですが、全ての人の奴隷になりました。できるだけ多くの人を得るためです。弱い人に対しては、弱い人のようになりました。弱い人を得るためです。云々」と述べていますが、パウロは実際、一人でも多くの人を神の国へと救い上げるため、福音のために、どんなことでも積極的に挑戦し、成し遂げていた宣教師であったと思います。私たちが生きているこの極度に発達した技術文明世界は、情報技術の普及で各人の自由主義・個人主義・民主主義などの精神が、家庭でも社会でも大きな力を持ち始めたので、今や国も社会も全体を一つに堅くまとめることが難しくなっており、問題の多い国々では、様々な形の分裂や内紛の動きも始まっています。これからの人類は、政治的にも経済的にも深刻な不安に悩まされ続けるのではないでしょうか。このような社会不安の中では、使徒パウロのようにひたすら神からの呼びかけや導きに心を向け、それに積極的に従おうとする生き方が、私たちの心を新しい希望で若返らせ、神からの導き助けを祈り求めつつ、どんな不安や困難に対しても積極的に立ち向かう勇気と意欲と喜びを与えてくれるのではないでしょうか。本日の福音に描かれているカファルナウムでの主のお姿も、そのような積極的生き方の模範を私たちに提示していると思います。マスコミの伝える現代世界や現代社会の動向に、不安や困難がどれ程多くうごめいていようとも、恐れずに、ひたすら全能の神の働きに根ざして生き抜きましょう。それが、不安や困難がいや増すと思われるこれからの時代に、幸せに生きる道だと信じます。