2015年5月24日日曜日

説教集B2012年:2012年聖霊降臨の主日(三ケ日)



第1朗読 使徒言行録 2章1~11節
第2朗読 ガラテヤの信徒への手紙 5章16~25節
福音朗読 ヨハネによる福音書 15章26~27、16章12~15節



  聖霊降臨の大祝日と聞くと、聖霊の祝日と思う人もいるでしょうが、本日のミサの集会祈願も奉納祈願も拝領祈願も、聖霊よりは天の御父と主イエスに対する願いとなっており、「聖霊を世界にあまねく注いで下さい」と御父に願ったり、「御子が約束された通り聖霊を注ぎ、信じる民を照らして下さい」などと主イエスに願ったりしていますから、教会はこの祝日を伝統的に聖霊だけの祝日としてではなく、三位一体による新しい神の民誕生の祝日としていたように思われます。もはや死ぬことのない永遠の生命に復活なされた主イエスは、その復活の日の晩に弟子たちに出現なされた時にも、ヨハネ福音書によりますと、弟子たちに息を吹きかけて「聖霊を受けなさい。云々」と話しておられますから、主は五十日祭の前にも弟子たちに聖霊を注いでおられますが、復活後最初の五十日祭の時には天の御父も御子も、主の復活を信じ主の御言葉に従って祈っていた聖母マリアを始め使徒たちや信者たちの上に、特別に豊かにまた劇的に聖霊を注ぎ、その直後の弟子たちの活発な活動や、大勢の人たちの受洗などを考慮しますと、この聖霊降臨によって新約の神の民が世に産まれ出たのだと思います。としますと、それ以前の聖霊の注ぎは、いわば産まれ出る前の胎児のような教会の体を育てるためのものであった、と考えてもよいかと思います。

  使徒パウロは本日の第二朗読の中で、「霊の導きに従って歩みなさい。そうすれば、肉の欲望を満たすことはないでしょう」と述べて、肉の業と、それとは全く違う神の霊の結ぶ実とについて列挙していますが、私たちは神の愛の霊を受けて主キリストの神秘体の細胞にして戴いても、この世に生きている限りはまだ古いアダムの肉をまとっているのですから、主イエスや聖母マリアのように、何よりも神の僕・神の婢の精神で、しっかりと自分の肉の欲を統御し十字架につけて、神の霊の器・道具となって生きるよう心がけなければなりません。その時、聖霊は私たちの内にのびのびと自由に働き、私たちはその霊の導きと自由に参与して、霊の実を豊かに結ぶに至るのではないでしょうか。

  本日の福音は、最後の晩餐の席上で語られた主の遺言のような話からの引用ですが、主はその中で、弟子たちが神の霊の器・道具のようになって生きること、証しすることを勧めておられるように見えます。「言っておきたい事はまだたくさんあるが、今あなた方には理解できない」というお言葉は、数年間主と生活を共にした弟子たちに、主についての証しをさせようとしても、彼ら自身の人間的能力では主による救いの業について正しく理解し、正しく証しすることができないことを示していると思われます。しかし、主がお遣わしになる「真理の霊が来ると、あなた方を導いて真理をことごとく悟らせる。云々」というお言葉は、聖霊の内的導きに従おうと努めているなら、証し人としての使命を立派に果たすことができることを、保証しておられるのではないでしょうか。「世の終りまで共にいる」と約束なされた主イエスは、現代の私たちにも聖霊を注いで、各人の信仰体験から証し人としての使命を果たさせようとしておられると思います。しかし、聖霊の器・道具となって霊の導きを正しく受け止め、それに従って行くには、まず自分の中の古いアダムの心に死ぬように努め、自分中心のわがままな主体性や欲望をしっかりと統御しなければならないと思います。

  個人重視の自由主義教育を受けた現代人の中には、自分の考えや自分の企画中心のファリサイ的熱心から、神のため教会や社会のために何かをしようと思っている人が少なくないと思います。その善意はよく分かりますし、夫々その人なりに実績をあげていると思いますが、しかし、そのような人間的善意だけを中心にして外的、人間的に大きな実を結んでも、神はその実をお受け取りにならないのではないでしょうか。そこには己を無にし、日々神より与えられる十字架を担って、神の御旨中心に生きる模範を示しておられた主イエスの、味わい深い信仰と愛の御精神が込められていないからです。神の愛の霊・聖霊の導きに従って、主キリストの御精神で働く所、生きる所にこそ、外的この世的にはどんなに小さな実であっても、神から喜ばれ受け入れられる実が豊かに結ばれるのだと思います。いつも神の霊の導きに心を向け、それに従うよう心がけましょう。そして「聖霊の生きる神殿」として生活するように努めましょう。小さいながらでもそのような実践的信仰のある所に、神ご自身が主導権をとって、数多くの味わい深い愛の実を実らせて下さると信じます。

  ご存じのように、今世界の多くの国は政治的にも経済的にも複雑な問題を抱えて動揺しているように見えます。政治家たちは皆、これまでになかったような人類社会破たんの危険性を痛感しつつ、苦慮していることでしょう。神の特別の助けなしに人間中心の国際協力だけでは、今人類の抱えているこの大きな危機は、乗り越えられないのではないでしょうか。私たちは皆小さな小さな存在ですが、それでも生き生きとした実践的信仰をもって「聖霊の神殿」として生活し続けるならば、私たちの中におられるその神である聖霊が、世界各国の政治的経済的平和共存のために、陰ながら大きな働きをして下さると信じます。私たち各人の小さな信仰生活は、今の人類の平和共存と福祉のためにも、神の御前で大きな力を保持しているのではないでしょうか。新約の神の民の誕生を記念する聖霊降臨祭を迎えて、スケールの大きな人類的使命感のためにも、各人の信仰生活・修道精神を深めて磨く決意を新たにし、神にお献げ致しましょう。