2015年5月31日日曜日

説教集B2012年:2012年三位一体の主日(三ケ日)




第1朗読 申命記 4章32~34、39~40節
第2朗読 ローマの信徒への手紙 8章14~17節
福音朗読 マタイによる福音書 28章16~20節



   本日の第一朗読は、約束の地カナアンを目前にしてモーセが神の民に語った遺言のような話からの引用ですが、その中でモーセは「あなたに先立つ遠い昔、神が地上に人間を創造された最初の時代にさかのぼり、また天の果てから果てまでたずねてみるがよい。これ程大いなることがかつて起こったことがあろうか。云々」と、天地万物と人間をお創りになった神の御業の偉大さに、まず民の心を向けさせています。そしてその神が、他の多くの国民の中からイスラエルを特別に選び出し、神による数多くの徴しや奇跡を体験させながら、これから入る約束の地まで民をお導き下さったことを語り、天においても地においてもこの神が唯一の主であり、他に神のいないことを弁えて、神から与えられた掟と戒めを守り行うよう命じています。そうすれば民もその子孫も、主がお与えになるこの約束の地で、長く幸せに生きることができるのだ、と明言しています。
   モーセがその民に語ったこれらの言葉は、現代世界に生きる私たちにとっても大切だと思います。私たちは神が創造なされたこの巨大な天地万物の恵みや、その中で神から特別に選ばれ愛されている人間という存在の素晴らしい恵み、並びにその使命などについて、日々心にしっかりと刻み込み、神に感謝を捧げているでしょうか。20世紀の中頃から人間の科学が大規模に発達して来てみますと、神がお創りになった宇宙の絶大な大きさや、その細かい所まで行き届いている組織体制の神秘には、全く圧倒される程の感動を覚えます。神は本当に大きな愛と配慮を込めてこの宇宙を、また人間をお創りになり、今も絶えず細かい所まで行き届くその御力と温かいお心で、万物を支え導いておられるように思います。
   筑波大学の名誉教授で遺伝子研究の世界的権威者の一人である村上和雄氏は、大人の人間の体に60兆もあると言われている、小さな小さな細胞1個の中に、「宇宙(全体)に匹敵する程の神秘が隠されている」と述べています。村上氏によると、ヒトの遺伝子暗号は約30億の科学的文字(塩基)から成っていますが、この30億の文字を人間が読めるような普通の文字に拡大しますと、1ページ1千字で、千ページもの分厚い本が3千冊になるそうです。それだけの詳しい情報が、私たちが胎児の時から受け継いでいる体の各細胞に書き込まれているのだそうですから、これは「神の驚くべき御業」と言わざるを得ません。村上氏は「20世紀に発見された最大の奇跡」と称しています。しかも、その遺伝子情報は、両親の遺伝子や兄弟姉妹の遺伝子とも幾分異なっている、全く各人独自の情報だそうで、こう考えますと、一人一人の人間は、すでに胎児の時から「神からの特別の贈り物、貴重な宝物」と言わざるを得ません。神からのその貴重な贈り物を、人間中心の浅墓なこの世的考えで、無駄にして仕舞わないよう心がけましょう。
   自然界の動植物の遺伝子より遥かに多い、その30億にも及ぶヒトゲノムの配列は、21世紀に入るとすぐ全部解読されましたが、以前にもここで申しましたように、そのうちonの状態(目覚めている状態)になっているのは7パーセント程で、残りの93パーセントはoffの状態になっており、どういう機能を持つ遺伝子であるかは分かっていないと聞きます。その話を聞いた時私はすぐ、それらのまだ眠っている遺伝子の多くは、世の終わりに主イエスの復活体と同じ姿に復活した時に働き出すのではないかと考えました。天文学者たちによると、この巨大な宇宙は今も尚、光の速度で無限に膨張し続けているのだそうです。私たちの住んでいるこの太陽系の星たちが所属する「天の川銀河系」と同じような巨大な星たちの集まりである銀河系は、一番近いアンドロメーダ銀河系をはじめ、他にもまだ無数に散在しているそうですから、私たち人間は、この世の時間空間の束縛から解放されたあの世の体に復活した後には、それらの銀河系の星たちの間を神出鬼没に自由に駆け巡りつつ、神がお創りになった無数の神秘を次々と発見し、大きな感動の内に三位一体の神を讃え、神に感謝し続けるのではないでしょうか。神に特別に似せ、万物の霊長として創られた私たち人間の未来には、想像を絶する程の明るい大きな永遠の喜びと、神の無数の被造物を益々深く理解し世話する使命が、神ご自身によって備えられているように思います。創世記1章にあるように、神は人間に「産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ」「生き物を全て支配せよ」と、お命じになったのですから。
   本日の福音には、あの世の命に復活なされた主がガリラヤで弟子たちに、「全ての民を私の弟子にしなさい」と命じられたお言葉が読まれます。「教えなさい」と命じられたのではありません。無学なガリラヤの漁夫たちは、いくら聖霊の賜物によって心が満たされ強められたとしも、言葉の違う世界にまで出かけて行って、教養の高い文化人たちにまで教えるなどということは、できなかったと思います。しかし、自分たちの見聞きした体験から目撃証人として語り、その証言を聴いた世界各地の文化人が、それぞれ自分たちなりに提供された神の救いに心を開き、主キリストの弟子となって生き始めることは可能だったと思います。主のお言葉は、このことを指しているのだと思います。神による救いに心を開く人たちには、父と子と聖霊の御名によって洗礼を授け、弟子たちに命じて置いたことを全て守るように教えなさい、というのが主のご命令だと思います。これなら、無学な漁夫達にも実践可能だったでしょう。このようにして神の子の命に参与する人々と共に、主は世の終りまでいつも共にいるというのが、主のお約束だと思われます。
   私が公教要理を学んだ終戦直後の頃、西洋では「三位一体の教義が一番理解し難い教理だ」と言われていたようです。しかし、当時のあるドイツ人宣教師は「日本人には、三位一体の教義はほとんど抵抗なくそのまま受け入れられるようだ」と話していました。私も当時を振り返ると、その教義にはそれ程抵抗を感ぜずに、神は孤独な唯一神ではなく、三方の愛の共同体なのだ、と素直に信じることができていました。公教要理を教えるドイツ人宣教師の話の中に、「作品は作者を表わす」という諺のように、神のお創りになった被造物の中には、例えば火のように、燃やす力と照らす光と温める熱とが一つになっているものが多く、太陽の引力も光線も熱線も一つになっている、というような説明がありましたから。
   人間理性は無意識のうちに何か不動の原則や尺度を作り上げていて、「唯一のものは、三つにはなり得ない」などと、人間理性がこの世の日常体験から作り上げたその尺度を、あの世の霊的真理についての神の啓示にまで適用しようとし勝ちです。それではあの世の神の御教え、神の真理の中に生きることができません。理性は自分で自分を欺き易い能力なのです。人間理性のその弱さを逆に利用して楽しませてくれているのが、今の世にも流行っているマジックなのです。「主は幼児のように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない」(ルカ18:17)と教えておられます。人間理性がこの世の経験から作り上げている原則や価値観などから離れて、まずは親から愛され親に聴き従っている幼児のように素直な心で、神の声に心を傾け、神の導きに聴き従いましょう。日々その生き方を続けていますと、神の働きと思われる不思議な護りや導きを小刻みにたくさん体験するようになります。そして目に見えない神の現存や働きに対する心の信仰が、無数の体験に根差した揺るがない確信になって行きます。…….