2009年5月10日日曜日

説教集B年: 2006年5月14日、復活節第5主日(三ケ日)

朗読聖書: Ⅰ. 使徒 9: 26~31.   Ⅱ. ヨハネ第一 3: 18~24.  
  Ⅲ. ヨハネ福音 15: 1~8.


① 本日の第一朗読は、ダマスコ途上で復活の主に出会って改心し、アナニヤから受洗したサウロについての話ですが、そのサウロがダマスコの諸会堂でユダヤ人たちに、ナザレのイエスがメシアであることを力強く論証していましたら、驚いたユダヤ人たちがサウロを殺そうと陰謀を企んだので、サウロはキリスト者たちの助けを得て町を逃れ、エルサレムに舞い戻ったのでした。そして本日の朗読箇所にあるように、主の弟子たちの仲間に加わろうとしましたが、数週間前にステファノをはじめ多くのキリスト者たちを迫害したサウロを、エルサレムの信徒団は主の弟子と認めようとはしなかったようです。著名なラビ・ガマリエルの下で学んだ律法学士のサウロは、巧みな弁舌で人を欺くおそれのある人間と思われたでしょうし、事実エルサレムで大祭司たちを動かしてキリスト者迫害を盛んにした張本人でもあったのですから、無学な庶民層出身の弟子たちが警戒したのも当然だと思います。
② しかし、その中にあって、キプロス島出身でギリシャ語に堪能な教養人バルナバは、聖書にも「立派な人物で、聖霊と信仰に満ちていた」と述べられていますが、人の心を正しく見抜く能力にも恵まれていたようで、サウロを使徒たちの所に連れて来て、彼が実際に復活の主に出会って改心し、ダマスコで主イエスの名によって大胆に宣教したことなどを説明しました。それで、サウロはエルサレムにいる使徒たちと自由に交際し、主の名によってギリシャ語を話すユダヤ人たちに宣教したり、彼らと議論したりし始めたようです。自分が知らずに犯した大きな過失を、償おうとしていたのだと思います。すると、そのサウロを殺害しようとする動きが起こり、それを知ったギリシャ語を話すキリスト者たちは、彼をかくまって密かに港町カイサリアに降り、サウロをそこからその生まれ故郷であるタルソスへ船出させました。
③ こうして、ギリシャ語を話すディアスポラ出身のユダヤ人改宗者、ステファノやサウロたちをめぐる出来事で、一時は大きな揺さぶりをかけられたエルサレム教会は、その後は平穏にユダヤ・ガリラヤ・サマリアの全地方でゆっくりと発展し、信徒数を増やしていったようです。しかし、この時期になると、ペトロもヨハネも、もうユダヤ教指導者たちをメシア殺しの罪で糾弾しなくなり、むしろユダヤ教との対立を緩和するため、ファリサイ派が重視する律法遵守をできる限りで尊重しながら、主イエスに対する信仰を広めていたように思われます。ユダヤ教の大法院も、ラビ・ガマリエルの言葉に従って、彼らがそのように努めている限りは敢えて新しい信徒団を迫害しようとしなかったのだと思います。しかし、やがてバルナバもエルサレムを去り、タルソスからサウロ、すなわち後の使徒パウロを導き出して、一緒に伝道旅行を始めた頃から、律法尊重のエルサレム教会の中にはファリサイ派から改宗した人たちが入って来て、キリスト教会をユダヤ教に引き戻そうとし始めたようで、これが後で使徒パウロを悩ましています。それについては、またいつか話す時がありましょう。
④ 本日の第二朗読は、先週の主日の第二朗読と同様、ヨハネの第一書簡第3章からの引用ですが、本日の朗読箇所に登場する「神の掟」は、主が最後の晩餐の席上でお与えになった新しい掟、すなわち「私が愛したように互いに愛し合いなさい」という愛の掟を指しています。使徒ヨハネは本日の箇所で、「言葉や口先ではなく、行いをもって誠実に愛し合いましょう」と呼びかけ、そうすれば「神の御前で安心できます」「神の御前で確信を持つことができ、神に願うことは何でも叶えられます」などと説いていますが、これは、長年にわたる自分の体験からの述懐であると思います。多くの聖人たちも同様の言葉を残していますし、皆様がよくご存じの「神の愛の聖者」聖ベルナルドも、同様の述懐をなしておられます。私は今年は御受難会の創立者十字架の聖パウロの言葉を365日に分けて収録した、『今日を生きる智恵のことば』という本を読んでいますが、そこにも同様の言葉がいろいろと形を変えて登場しています。私たちもそれらの模範に倣って、神の愛に生きるよう努めましょう。
⑤ 私は2週間前に、「私のカトリック的ネオ・アニミズム」という言葉に続いて、私は日々出会う全てのものを温かい眼で眺めています、という話をしました。今日はそのことをもう少しだけ説明致しましょう。子供の時から自分独自の個室を持ち、パソコンやその他自分だけの所有物を与えられるという豊かさの中で育って来た現代人の中には、親をも他人をも組織をも、全てを自分にとっての利用価値という観点から、いわば道具や手段として眺めてしまう人間が少なくないようですが、昭和初めの貧しい農村で五人きょうだいの末っ子として育った私は、自分の部屋というものを持たず、何でも皆と共有するような生き方をしながら育ち、信心深い浄土真宗の門徒であった父母の模範や躾けもあって、食べ物でも衣類やその他の道具でも、感謝の心で大切にする習慣を身につけて大きくなったように思います。
⑥ 私はこのことで、今でも父母に深く感謝していますが、大学に入った頃からは、自然界の草木や青空や雲などに話しかけることも多くなりました。自然界の美に対する詩人や美術家のような鋭い感性はもっていませんが、話しかけていると、自然界も不思議にその心の呼びかけに応えて、それとなく私を護り導き助けてくれることが多いと思うことが度々ありました。それで、30年ほど前ごろからは他人から「晴れ男」と呼ばれるようになり、自分でも、少しの例外を別にして、外出時に不思議に好天に恵まれることが多いのを体験しています。仏教には、生きとし生けるもの全てが仏性をもっているという信仰があって、生き物の殺傷を極度に避けようとしている仏教者もいますが、私はそのようには考えません。以前にも話したように、「作品は作者を表す」のですから、生ける神によって創造された全てのものは、皆それぞれの仕方で「生きている存在」であると思います。そして「生きる」ということは、他の多くのものによって生かされて生きることであり、自分も他者のために自分の命を犠牲にして奉仕する使命と義務を持っていると考えます。
⑦ 人となってこの世にお生まれになった神の御独り子は、その模範を最も美しくまた徹底的に体現なさいました。生かされて生きている私たちも、その模範に倣って万物の救いのために奉仕しようと努めなければならないと考えますが、私たちの周辺の万物も神によって、そのように私たちに奉仕するよう召されているのではないでしょうか。ですから私は、日々の飲食の時にも「いただきます」と感謝の心を表明しながら、それらの飲食物の命を頂戴し、私の身に生かして使うよう心がけています。今年はこの三ケ日で蚊の発生が例年より少し早いように思いますが、私は既に3週間前から何匹も蚊を殺しています。しかし、皆様がお笑いになるかも知れませんが、私はその度毎にその蚊に話しかけ感謝しています。蚊の命を頂戴し、その分とも神のために働くことを約束して、私を邪魔せず助けてくれるよう願うのです。すると、意外と安らかな心で仕事や生活に従事できるように感じています。私が今あるのは、ある意味では私のために死んでくれた数多くの蚊たちの命にも、生かされているお蔭であると思います。もちろん、それらの蚊の命が直接に私を助けてくれたのではありません。ただ私を邪魔し苦しめた蚊に対しても憎しみの心を抱くことなく、大きく開いた温かい感謝の心でそのお命を頂戴する時、神の霊が、あるいは私が日々その幸せを祈っている無数の先輩死者たちの霊魂が、蚊との出会いを介して私を訪れ、私に力や助けを与えて下さるのだと信じています。
⑧ 小さな虫たちや小鳥たちとの思わぬ出会いも、私はあの世の神や霊たちの訪れと受け止め、大切にしています。そういう虫や小鳥たちに優しく話しかけると、何か自分が不思議に守られ助けられているように覚えるからです。鳥たちに話しかけていたと聞くアシジの聖フランシスコは、自分に厳しい火や貧しさなどに対して優しく語りかけています。私も、日々愛用しているサプリメントや小道具などに感謝の心で話しかけていますが、とにかくこのようにして、私たちを取り囲む全てのものに生かされ支えられて、感謝を表明しつつ神のために生き且つ働くのが、この苦しみの世における私たちの人生なのではないでしょうか。私が「ネオ・アニミズム」と称したのは、そのような信仰の生き方を指しています。
⑨ 本日の福音の中で、主が「私は幹であって、あなた方は枝である」とおっしゃったのでないことは、注目してよいと思います。主はご自身を、根も枝も実も含む「ぶどうの木」と表現しておられるのです。枝の外にある幹ではなく、枝の中にもその命が流れている「ぶどうの木」と表現して。従って、天の御父が実を結ばない枝を取り除かれる時には、おそらくその枝以上に、その枝に命を与え続けてこられた主ご自身が、痛みを感じておられるのではないかと思われます。「人が私に繋がっており私もその人に繋がっていれば、その人は豊かに実を結ぶ」というお言葉から察すると、ここで「繋がっている」(原文では「留まる」) という言葉は、単に外的に繋がっていることではなく、もっと内的に主との命の交わりに参与していることを意味していると思います。ですから本日の福音の中で主は、「私に繋がっていなさい」と、願うように話しておられ、私に繋がっていないなら、(たとい外的には繋がっていても) 御父によって取り除かれ、外に捨てられて枯れる、そして火に投げ入れられて焼かれてしまう、などと警告しておられます。しかし、「私に繋がっており、私の言葉があなた方の内に留まっているならば、望むものを何でも願いなさい」と勧めてもおられます。主のご説明によると、その人は願うことが全て叶えられて豊かに実を結ぶ主の弟子となり、天の御父もそれによって栄光をお受けになるのですから。
⑩ ぶどうの木についてのこの譬え話を読む時、いつも思い出す体験があります。それは、1979年の9月に、身延山での三日間の研修に参加した後、知人の佐藤牧師さんの車に乗せられて、ぶどうの名産地勝沼の教会に連れて行かれ、一泊して古い信徒の家を訪問した時のことです。その家の縁先にある300坪程の敷地全体が、一本のぶどうの木から伸びた枝たちに覆われていて、そこに無数のぶどうの房が垂れ下がっているのです。各房は数十個の大きな実から成っていましたが、私が家の主人に、「この一本の木に、全部で幾房ぐらい着いているでしょうか」と尋ねたら、「この木のためには一応一万個の紙袋を準備して、それらの房にかぶせたのです」という答でした。何と実り豊かなぶどうの木でしょうかと感心し、その後名古屋での説教にも、その木の話をしたのですが、その木はその後、勝沼を直撃した台風にやられて、今はもうないようです。その10年ほど後に、あのぶどうの木を写真に撮って置きたいと思って勝沼を再訪した時には、ぶどう園は大きく様変わりして鉄筋コンクリートの無数の柱に囲まれており、もうどこからでも自由に中に入ることなどはできなくなっていましたし、300坪ほどの敷地全体に枝を広げて、その下で子供たちが遊び戯れていたようなぶどうの木は見当らず、寂しく思ったからです。嵐のような現代世界の激しい大気流にもまれて、カトリック教会も昔の寛いだ大らかさや豊かさを失いつつあるように見受けますが、せめて私たちの心の中には、荒々しい現代文明の風潮に負けない、神信仰ののどかな大らかさや豊かさを宿し続けるよう、積極的に心がけましょう。