2010年4月2日金曜日

説教集C年: 2007年4月6日 (金)、聖金曜日(三ケ日)

朗読聖書: Ⅰ. イザヤ 52: 13 ~ 53: 12. Ⅱ. ヘブライ 4: 14~16, 5: 7~9. Ⅲ. ヨハネ福音 18: 1~19, 42.

① ただ今のヨハネ受難記の中で、「お前がユダヤ人の王なのか」というローマ総督ピラトの質問に対して、主キリストは「あなたは自分の考えで、そう言うのですか。それとも、他の者が私について、あなたにそう言ったのですか」と聞き返しておられますが、それは察するに、もしピラトが当時の内的に堕落と崩壊の道をたどっている社会の中にあって、人生に本当の生きがいを与えてくれる心の王を探し求めているのなら、総督の心からのその問いにまともに答えてあげようと思われたからではないでしょうか。しかし、ピラトは自分の心ではそのような精神的指導者を探し求めておらず、ただユダヤ人指導者たちから言われて、裁判の職務上の質問をしているだけでした。

② ピラトが「いったい何をしたのか」と尋ねたので、主は「私の国は、この世に属していない。云々」と神秘的なお答えをなさいましたが、それを聞いて、ピラトの心は何か謎に包まれたような思いがしたことでしょう。この世に属していない国なら、それはローマの主権外の国であり、この世の法では裁くことのできない宗教的な国、神に属するあの世の国ということになるでしょう。今は捕縛されたみすぼらしい囚人の姿になっていますが、心の威厳を堅持しているこの男は、あの世の国の支配者だと言うのですから驚きますが、ちょっと戸惑った後、総督はもう一度「それでは、やはり王なのか」と質問してみました。主はそれに対して、「私が王だとは、あなたが言っていることです。私は真理について証しするために生まれ、そのためにこの世の来た。真理に属する人は皆、私の声を聞く」とお答えになりました。「あなたが言っていることです」という言い方は、相手の言葉を否定したものではなく、ただ相手の考えている意味とは多少違う意味で、王であることを肯定している、特殊な言い方の言葉だといわれています。

③ この世的には全く貧しくて、ローマ帝国にとっては少しも危険でないように見えるこの男に、ピラトは裁判官としてどう対応したらよいかに困ったことでしょうが、「真理とは何か」と吐き捨てるように言って、ユダヤ人たちの所に戻り、「私はあの男に何の罪も見いだせない。云々」と言いました。しかし、支配者に何かを強く要求するデモ隊のようになって、感情をますます高ぶらせているユダヤ人たちの気持ちを少しでも和らげようとして、彼らに譲歩を重ねているうちに、遂に真理に属しているあの世の王を、十字架刑に渡してしまう羽目になってしまいました。感情的叫び声が飛び交う団体交渉の場には、容易に悪霊たちも介入し扇動するからだと思われます。

④ ピラトには、社会的犯罪もローマ法に背く罪も何一つないイエスの裁判を回避する道はなかったのでしょうか。私はあったと思います。もしピラトが、正義のためには民衆のどれ程熱狂的な要求にも屈しない強い精神で、国法を順守しようと日頃から心がけ冷静であったなら、「王と自称する者は皆、皇帝に背いています」と叫ぶ民衆や、「私たちには、皇帝の他に王はありません」などという祭司長たちに対して、「そんならこの裁判は、皇帝に裁決していただくことにする」と言って、判例の全くないこの裁判の判決をローマ皇帝の法廷に仰ぐことにし、その間に民衆の激情を沈静化させる道はあったと思います。しかし、ピラトは「何の罪も見出せない」と言いながら、民衆の過激な要求に同調し、イエスを鞭打たせたり、茨の冠をその頭にかぶらせたりしてしまいます。ここに彼の大きな罪があり、悪の勢力に屈服した所に、やがて彼が失脚するに到った一因があると、と私は考えています。

⑤ 聖書にも言われている通り、この世はまだまだ暗闇の霊が跋扈(ばっこ)して止まない世界だと思います。各地の堅実な伝統文化が拘束力を失って、心の教育が崩れ極度に不足し勝ちな現代のように大きな過渡期には、特に危険が大きいと思います。私たちも気をつけましょう。私たちは、主キリストと同様真理に属する者、神に属する者であって、この世に国を建設するためではなく、何よりもあの世の神の国へと一人でも多くの人を導くために、神から召され派遣されている者なのです。悪霊も介入し勝ちなこの世の政治や政治的イデオロギーに対しては、少し距離を置いて対処しなければならないと思います。主イエスのあの世的神の国は、全く次元の異なる国なのですから。いつの日か、カトリック教会も主キリストのように、この世の悪魔的論理によって裁かれ、その資産を奪われるような事態が来るかも知れません。しかし、少しも慌てず驚かないように致しましょう。私たちには、この暗い儚い仮の世にではなく、永遠に続くあの世に栄光に輝く神の国が既に備えられているのですから。どんな苦難も死も恐れずに、主と共に王者の威厳を堅持しながら、あくまでも神に忠実に留まり続けましょう。