2010年11月28日日曜日

説教集A年: 2007年12月2日待降節第1主日(三ケ日)

聖書朗読:マタイ24・37-44

① 待降節初日の今朝は、美しく晴れ渡った星空に聖母マリアのシンボルとされている「明の星」金星が大きく輝いていました。私は名古屋でも毎朝5時少し前に起床して、部屋のすぐ横にあるベランダに出て外の空気を吸うのを習慣にしていますので、晩秋から早春にかけては星空を眺めることが多いです。金星の見える位置は年によっていろいろと変わりますが、これまで待降節の夜明け前に金星を眺める年が多かったように記憶しています。他の星たちに比べて金星の昇るのは少しずつ遅れていますが、今年はこの分ですかと、待降節の間じゅうは、日の出の一時間ほど前に「明の星」を眺めることができるように思います。この「明けの星」のように、いつもそっと私たちを見守っていて下さる聖母マリアの温かい母性愛に感謝し、その取次ぎを願い求めつつ、主の来臨に対する心の備えに努めましょう。

② 本日の第一朗読は、2千7百年数十年も前に、イザヤ預言者が見たこの世の終末後の世界についての幻であります。典礼暦年最後の週である先週の週日に、教会ルカ福音書の中からこの世の終末についての主の予言を毎日のように朗読させ、主の再臨の日に備えて「いつも目覚めて祈る」よう私たちの心を堅めさせましたが、しかし、終末の恐ろしいマイナス面にだけ心の眼を向けることのないよう、本日の第一朗読では、主の再臨後の輝かしい平和と愛の世界についても眼を向けさせています。それは、全知全能の神が直接に支配なさる世界であり、国々の民がこぞって大河のように主の御許に集い、もはや一切戦うことをしない美しい平和と愛の世界であります。現代世界の多くの民族は、人間中心の理知的な考えや意欲が齎した各種の対立抗争のため、テロや破壊・貧困・不安などに悩まれていますが、主キリストが全宇宙の王としての権威と栄光の内に再臨なさり、諸国民や国々の不義と争いをお裁きになると、忽ち素晴らしい人類世界が実現するに至るのです。この大きな明るい希望を心に抱きながら、神が聖書を介して提供しておられる勧めや戒めのお言葉に従うよう心がけましょう。

③ 使徒パウロは第二朗読の中で、「眠りから覚めるべき時が既に来ています」「救いが近づいているからです」「闇の行いを脱ぎ捨てて」「品位をもって歩みましょう」「争いと妬みを捨て、主イエス・キリストを見にまといなさい」などと勧めています。新しい典礼年の初めにあたり、とかく目先の苦楽や不安などに囚われ勝ちであったこれまでの生き方を脱ぎ捨てて、洗礼の時に神に捧げた決心を新たにし、神中心の聖い生き方に目覚めて誇りと品位をもって生活しようというのが、使徒の勧めだと思います。

④ 主イエスも本日の福音の中で、二度も目を覚ましているよう警告しています。世の終りも私たち各人の裁きの時、死の瞬間も、思いがけない形で突然に来るからです。旧約聖書に語られているノアの洪水も、主によると全く突然に、人々が楽しく食べたり飲んだりしていた時に、急に始まったようです。未曾有の恐ろしい大集中豪雨が始まってからでは、もう逃げ場がありません。主は「人の子が来る時も、このようである」と警告しておられます。一緒にいる二人のうち、「一人は連れて行かれ、一人は残される」のです。どちらが救われ、どちらが滅ぼされるのか分りませんが、ノアの洪水を例にとって話されたのですから、ノアとその一族のように、残された人の方が救われるのかも知れません。現代世界に流行している各種の詐欺や盗みも、全く思いがけない巧妙な仕方で多くの人を不幸のどん底に陥れています。通常の常識に従って用心していても、その想定外の仕方で発生するのが、現代の詐欺や盗みの特徴のようです。これまでの社会的常識に従って生きているだけでは足りません。何よりも神に祈り、神の勧め・神のお言葉に対する心のセンスを実践的に磨いていましょう。そうすれば、私がこれまで幾度も体験して来たように、神が不思議な程私たちを護り導いて下さいます。神に対する信頼心を新たにしつつ、神を迎える待降節の修行に励みましょう。