2010年12月19日日曜日

説教集A年:2007年12月23日待降節第4主日(三ケ日)

聖書朗読:マタイ1・18-24

① 本日の第一朗読の背景について、はじめに少し説明致しましょう。アッシリアが軍事力を強化して南の国々を侵略する勢いを見せ始めた時、シリアと北イスラエル王国とは同盟を結び、ユダ王国をもこの反アッシリア同盟に参加させようとしました。しかし、ユダのアハズ王はその同盟に参加しようとはしませんでした。すると突然シリアとイスラエルの同盟軍がまずユダ王国を攻撃して反アッシリア同盟を強大にしようと、攻め上って来ました。その時「王の心と民の心は、風に動かされる森の木々のように動揺した」とイザヤ書7章にあります。

② 神の言葉がイザヤに臨み、預言者は「恐れることはない。云々」と告げたのですが、恐れに囚われて気が動転していたアハズ王は、なかなかその言葉に従おうとしなかったようです。そこで神は預言者を通して、本日の朗読にあるように、「神にしるしを求めよ」と話したのです。でも、王はそのしるしを求めようともしないので、神はもどかしい思いをさせるそのマイナス志向の態度を非難なさった後に、まずお与えになったのが、「おとめが身ごもって男の子を産み、その名をインマヌエルと呼ぶ」というしるしでありました。神は続いて、アハズ王の恐れるシリアとイスラエルがアッシリアに征服されることも予告なされ、事実そのようになりました。神が真っ先にお与えになったしるしにある「インマヌエル」という名は、「神我らと共に」という意味の言葉です。主キリストの来臨によって現実のものとなった神の御子のこのお名前を、現代の私たちも大切にし、その神秘を実践的に益々深く悟るよう心掛けましょう。「神我らと共に」ということを。

③ 本日の第二朗読は、ローマ書の冒頭にあるローマの信徒団に宛てた挨拶文ですが、その中に「御子は、肉によればダビデの子孫から生まれ、聖なる霊によれば、死者の中からの復活によって力ある神の子と定められたのです」とある言葉が、降誕祭を目前にしている私たちにとって大切だと思います。しかし、使徒パウロのこの表現から、主イエスは死者の中から復活した時に初めて神の子とされたのだ、などと誤解しないよう気をつけましょう。新約聖書・旧約聖書の他の個所の啓示も総合的に考え合わせますと、主イエスはこの世の時間や出来事と関係なく、永遠から神の御子であり、人間としても受肉の瞬間から神の御子であります。使徒パウロもこの信仰の立場でその幾つかの書簡を書いていますし、ローマ書も例外ではありません。全てを神の側から総合的に考え合わせる、神中心の広い霊的立場で主イエスのご誕生を受け止め、深く悟る恵みを願いつつ、降誕祭を迎える心を整えましょう。

④ 本日の福音は、マリアを迎え入れる前頃のヨゼフの悩みと夢について教えています。マリアが三か月あまりナザレを留守にしてユダヤに滞在して来た後に、身ごもっていることが明らかになった時、婚約者であるヨゼフは深刻に悩んだと思います。当時のユダヤの制度では婚約を結んだ時に既にヨゼフはマリアの夫なのですが、同居前にユダヤの親戚の家に滞在するため、当時ユダヤ社会では女の慎みを欠く行為として禁じられていた「若い女の一人旅」をあえて為して来たマリアの身に、何かが起こったことが明らかになったからでした。察するに、マリアも同じころ苦しみつつ、ヨゼフのために神に真剣に祈っていたと思います。

⑤ 天使から一人でお告げを受けただけでは、自分が本当に神の御子を宿しているのかどうか自分でもわかりませんし、古今未曾有のそんな奇跡についてヨゼフを説得することもできません。おそらく二、三日間悩んだ挙句に、天使が最後に告げた「あなたの親戚エリザベトが老齢なのに男の子を身ごもってもう六カ月になっている」という言葉は、自分がそれを実際に確認して、それを自分が神の御子を宿したことの証拠とせよ、という意味なのではなかろうか、身重になっている老エリザベトは若い自分の手助けを必要としているであろうし、自分が神の御子を宿しているのなら、一人旅をしても神によって守られるであろう、などと考えて、レビ族出身で識字者であったマリアは、夫のヨゼフに簡単な書置きをし、朝早くに急いでユダヤのザカリアの家への女の一人旅をなしたのだと思います。年老いたエリザベトが男の子を産み、ザカリアのおしがその割礼の直後に天使の言葉通りに癒された奇跡などを目撃したマリアは、すでに自分が神の御子を宿している証拠を握っていました。自分が一人旅の途中でも神に守られていたことを体験したマリアは、そのことをヨゼフに伝えてその疑いを晴らす機会を求めて、一心に神に祈っていたと思います。

⑥ その時、主の天使、恐らく大天使ガブリエルがヨゼフの夢に現れて、本日の福音にあるような知らせをしたのだと思います。マリアの誠実さを少しも疑っていないヨゼフは、素直に天使の言葉に従い、マリアを迎え入れてマリアの見聞きして来た神よりの奇跡的出来事も聴いて、信仰と喜びのうちに、二人で神の御子の誕生と育ての世話に励んだのだと思われます。現代の私たちも、小さなご聖体の形で私たち各人のうちに宿り、現存して下さる全人類の救い主であられる神の御子主イエスに対する信仰を新たに致しましょう。そして2千年前の主のご誕生前のヨゼフとマリアのご心情を偲びつつ、主をお迎えする私たちの心の準備に励みましょう。そのための恵みと導きを祈り求めて、本日のミサ聖祭を献げたいと思います。