2010年12月26日日曜日

説教集A年:2007年12月30日聖家族(三ケ日)

聖書朗読:マタイ2・13-15,19-23

① 毎年最後の日曜日は、かよわい幼子の姿でこの世にお生まれになった救い主を囲む、ヨゼフとマリアの「聖家族」を偲び、その模範に見習う祝日とされていますが、私たちの一番見習うべき点はどこにあるでしょうか。それは、何よりも日常茶飯事の中での神の現存と神の愛の御配慮を、日々心の眼で新たに発見し、生き生きと見定めながら、神の御旨に従って生きようとする生き方にあると思います。各人の自由と個性を何よりも尊重した戦後教育の誤った成果なのでしょうか、今年も家族の一致と団欒の崩壊を示す悲惨な事件が、我が国にたくさん発生しました。目に見えないながらも人間社会の上に君臨しておられる天の権威、神の権威に謙虚に従おうと努める心に、私たち各人の一致と和合の基礎があることを軽視し、その基礎に違反する言行が招いた破滅と悲惨なのではないでしょうか。自分の自由や個性の主張よりも、神の御旨への従順を先にしていた聖家族の生き方に学びたいと思います。
② ヨゼフもマリアも、この家族は神のお考え、神の御働きによって生まれたのであることを確信し、何よりも神から与えられた使命を大切にしつつ、神に従う心で家庭生活を営んでいたでしょうし、人間イエスも物心がついたころから、同じ精神で両親に対する従順に心がけていたと思われます。この模範は、人間各人の考えも価値観も極度に多様化しつつある現代には、特に大切だと思います。
③ パスカルはその『パンセ』の中で、「流転。人の所有する一切のものが流れ去るのを感じるのは、恐ろしいことである」と書いていますが、年末にあたり自分の使いなれた事物だけではなく、富も名声も業績も家族や親しい知人も、全て流転して行くものであることをあらためて思う時、自分中心・人間中心に周辺の自然をも神をも利用しようとする生き方の虚しさを痛感させられます。詩編24に、「地とそこにあるもの、世界とそこに住むものは神のもの。神は海に地の基をすえ、水の上に固められた」とありますが、私たちのこの存在も、私たちの所属するこの世界の全てもことごとく神のものであり、神はそれらを水のように流動的なものの上に据えて、支えておられるのではないでしょうか。したがって、その神に背を向け、神から完全に独立して生きようとすることは、内的根本的には自分の存在を恐ろしく不安なもの、内面から崩れゆくものに陥れる危険な道なのではないでしょうか。自分の存在の全ては、流れゆく水のように流動的なものの上にのせられており、神の支えと導きから逸脱するなら、地盤の液状化で傾き倒壊する危険にさらされる運命に置かれているのですから。日々何よりも神に心の眼を向け、感謝と奉仕愛の心で神の御旨に従っていようとするのが、外的にはどれ程弱く貧しい生活であろうとも、内的には最も実り豊かな充実した生き方であると思います。
④ 聖家族が貧しさの中で全てを全知全能の神に委ね、ひたすら神の御旨への従順中心に生きていたことは、万物流転の不安な現代世界に生きる私たちにとっても、一つの貴重な模範であると思います。やがて私たちが皆、神のもとで永遠に生活することになるあの世の人生に視点を移して、あの世の人生の側から、この世での生き方をじっくりと考察してみましょう。
⑤ 本日の第一朗読は紀元前200年頃に書かれたと考えられているシラ書からの引用ですが、このシラ書は、全てを「主を畏れること」を基盤にして教えており、本日の朗読箇所でもその立場から、父母を尊び敬う人が神から受ける恵みについて教えています。また第二朗読であるコロサイ書は、洗礼によってキリストとひとつ体になったキリスト者の生き方について教えていますが、本日の朗読箇所に読まれる「互いに忍び合い」「赦し合いなさい」という勧めは、極度の多様化と各人の個性対立に揉まれて生きる私たちにとっても、大切な勧めだと思います。使徒パウロはさらに、「妻たちよ、夫に従いなさい」「夫たちよ、妻を愛しなさい」などと、夫婦間の従順と愛の精神を勧告していますが、「子供たちよ、どんなことについても両親に従いなさい。それは主に喜ばれることです」などと続けており、全ては「主に喜ばれる」という、神御旨中心の聖家族の精神で受け止めるべき勧めであると思います。
⑥ 本日の福音は、ヘロデ大王によるベトレヘムとその周辺での幼子殺害を逃れて、ヨゼフが幼子とその母を連れてエジプトに逃れたことと、その数年後エジプトでヘロデ大王死去の知らせを再び夢の中で天使から受け、ナザレの町に戻って来たこととを告げています。
神は、ひたすら神の御旨中心に生きている最も愛している聖家族に、時としてこのような苦難・労苦をお与えになる方なのです。あの世の人生のための功徳や救いの実りを一層大きくしてあげるためだと思います。それらの苦難や労苦によって、まだ神による救いの恵みに浴していない多くの霊魂たちに、神からその恵みが届けられるのだ、と考えてもよいでしょう。幼子イエスを守り育てる家族員、ヨゼフとマリアの団結と相互愛も、また神への信仰と愛と感謝も、それらの苦難や労苦によって実践的に鍛えられ、いっそう堅く深いものになったことでしょう。神は、私たちの修道院家族に属する各人の奥底の心も、苦難や労苦や小さな価値観の対立などによって一層大きく信仰と愛に成長することを、深い愛の内にお望みになる方であることを、心に銘記していましょう。私たちが今年一年、その神の温かい御配慮によってこうして護られ導かれていたことに対する感謝の念を新たにして、本日の感謝の祭儀を献げましょう。