2010年12月24日金曜日

説教集A年:2007年12月24日降誕祭夜半のミサ(三ケ日)

第1朗読 イザヤ書 9章1~3、5~6節
第2朗読 テトスへの手紙 2章11~14節
福音朗読 ルカによる福音書 2章1~14節

① クリスマスは、全宇宙の創り主で、時間も空間も、その他私たちの現実を規制している一切の枠組みを無限に超越しておられる、真に思い描くことさえできない全知全能の神秘な神が、私たちの歴史的現実の中に人間となってお生まれになったことを記念し感謝する、喜びと希望の祭りであります。ご自身に特別に似せて人間をお創りになった、と聖書に啓示されているその人間のお姿をとって、私たちの歴史的現実の中にお現れになったのです。ということは、神よりのその人、救い主イエスの生き方の中に、私たち人間の本当の生き方の模範が示されていると申しても良いでしょう。

② その人は、神としては計り知れない程の無限の富と絶対の権力の持ち主ですが、人間としてはそれらの一切をあの世に置いて、罪の闇に抑圧され苦しんでいるこの世の人間社会の最も貧しく弱い者たちの所に、貧しく弱い幼子の姿をとってお生まれになりました。その人間社会の最上位には、当時ローマ皇帝アウグストゥスが君臨し、シルクロードを介しての東西世界の国際貿易を積極的に支援して、驚くほど豊かな富と軍事力を保持してオリエント・地中海世界の平和と繁栄を安定させており、民衆からは「世の救い主」と賛美されていました。そしてこの社会的豊かさの中で人口の移動が国際的に激しくなっていたので、税制の公平さのためにも14年毎に全領土の住民に住民登録をさせる勅令を発しました。その最初の住民登録は、多くの地域で紀元前8年に施行されましたが、ローマの属国となっていたヘロデ王の支配するユダヤでは、まだ識字率が低いため住民が登録のために各々自分の出身地に集められ、顔を見比べながら役人に記録されるという登録方法に不満を持つ人が多くて一年遅らせ、強大な国境警備軍を持つシリア州の総督クリニウスの軍事的圧力の下に紀元前7年に行われました。この最初の住民登録の時に、救い主がダビデ家に属するヨゼフの出身地ベトレヘムにお生まれになったのです。ローマ帝国の住民登録は、紀元6年にも第二回登録が行われましたが、その時ガリラヤで発生した厳しく弾圧されました。そのことは使徒言行録にも述べられています。反対があまりにも強いので、アウグストゥス皇帝が紀元14年に没すると、その後はもう行われなくなりました。しかし、その二回の住民登録により、救い主イエスの名がこの世の人類社会の歴史の中にはっきりと書き留められ、登録されたという意義は注目に値します。

③ ヘロデ王を支援する強大なローマ軍の圧力下で、貧しく弱い幼子となってこの世にお生まれになったという事実は、この世の政治的平和とあの世の神による内的平和との違いを如実に示していると思います。ローマ皇帝アウグストゥスは、当時の政治的次元では多くの人から「世の救い主」と称えられましたが、ある意味では確かにそう言われるに相応しい支配者であったと思います。しかし、当時の平和で豊かな世界の下層には、経済的格差と政治的抑圧に苦しむ弱い貧しい人たちも少なからずいて、彼らは自分たちの心に新しい生きがいを与えてくれる「救い主」を捜し求めていたと思います。その人たちの願いと祈りに応えるようにしてこの世にお生まれになったのが、神の御子メシアなのではないでしょうか。

④ 経済的格差や政治的抑圧に苦しむ人たちは、全体としては平和で豊かなように見える現代世界の各地にも、少なくないと思います。神である救い主は、ご自身を信ずる人たちを孤児として残すことなく、世の終わりまで共にいると宣言なさったのですから、時間空間を超越して永遠に生きるあの世の霊的命に復活なされた後の今も、全世界の信仰に生きる人たちと霊的に共にいて下さると信じます。クリスマスは、その主の霊的命が各人の心の奥底に新たに生まれて下さる日と申しても良いと思います。しかし、その御命は自己中心のこの世的所有欲や権勢欲でいっぱいになっているような心などは避けて、苦しんでいる弱い貧しい人たちとの愛の連帯感に生きる心の中に、新たに生まれて下さるのではないでしょうか。2千年前の主の最初の御誕生は、そのことを私たちに教えていると思います。

⑤ 今宵の第一朗読は、預言者イザヤが紀元前8世紀に見た幻ですが、彼はその数百年後にベトレヘムで起こる出来事をはっきりと予見し、「一人のみどり児が私たちのために生まれた。一人の男の子が私たちに与えられた。云々」と語っています。しかし、その恵みの光を仰ぎ見て、深い喜びに満たされ、喜び祝ったのは、何よりも「闇の中を歩む民」、「死の陰の地に住む者たち」であったようです。彼らを抑圧し虐げていた者たちのくびきも、杖も、鞭も、その主によって打ち滅ぼされ、虐げられていた人たちは、「刈り入れの時を祝うように、戦利品を分け合って楽しむ」などと、預言されているからです。

⑥ また今宵の第二朗読で使徒パウロは、「全ての人に救いをもたらす神の恵みが現れました」という言葉に続いて、どういう心の人がその恵みを豊かに受けるかを、次のように説明しています。「その恵みは、私たちが不信心と現世的欲望を捨てて、この世で思慮深く、正しく、信心深く生活するように教え、また祝福に満ちた希望、すなわち偉大な神であり私たちの救い主であるイエス・キリストの栄光の現れを待ち望むよう教えています」と。主は「私たちをあらゆる不法から贖い」、「良い行いに熱心な民として清めるため」また「ご自分のものとするために」、この世に来られたのだとも語っています。私たちがクリスマスを喜び祝う本当の深い目的は、ここにあると思います。その目的が少しでも新たに私たちの心の中で達成されるよう恵みを願い求めつつ、今宵のミサ聖祭を献げましょう。