2011年1月1日土曜日

説教集A年:2008年1月1日神の母聖マリア(三ケ日で)

第1朗読 民数記 6章22~27節
第2朗読 ガラテヤの信徒への手紙 4章4~7節
福音朗読 ルカによる福音書 2章16~21節

① 先日ふとしたことから、万葉集の最終歌が正月の歌であることを知って嬉しくなりました。それは、中央政権から遠ざけられることの多かった大伴家持が、因幡守として開いた正月の宴会で詠った歌で、万葉集巻二十の最後に載っています。「新しい年の始めに降り積もる新春の雪のように、ますます重なってくれ、吉き事よ」と、年始めの寒波がもたらす新しい雪を、その年に受ける数々の恵みの徴として喜び迎えているような、「新しき年の初めの初春の今日降る雪のいやしけ吉事(よごと)」という歌であります。昨年は、思い寄らないような不幸な事件が次々と発生したり明るみに出たりして、多くの人を不安にした年でもありましたが、その苦しい寒波に負けずに、その寒波がもたらした神よりの招きの声と新しい恵みの徴に心の眼を向けながら、感謝と希望のうちに新しい1年の生活を始めましょう。

② 本日の第一朗読には、神がモーセを介して教えて下さった民を祝福する言葉があります。イスラエルの民が神の名を崇め、祭司がこの言葉で民を祝福する時、「私は彼らを祝福するであろう」と神は約束しておられます。それで旧約時代のイスラエルの祭司たちは、礼拝するために集まって来た民に対し、この言葉を唱えて祝福していました。神は信仰に生きる人々を愛し、祝福なさりたいのです。その人たちに豊かな恵みをお与えになりたいのです。神のこの温かいお心は、今も変わっていません。感謝と希望のうちに、素直な幼子の心になって神に近付きましょう。

③ 本日の第二朗読は、神が私たちを神の子とするために、この世にお遣わしになった神の御子の霊を私たちの心に送って下さることを教えています。十字架刑をお受けになった主イエスについて非常に多く書いている使徒パウロは、聖母マリアについてはほとんど何も書いていませんが、ただガラテヤ書4章の本日の朗読箇所を執筆した時だけは、この世にお生まれになった幼子イエスと一緒に、その聖母マリアについても考えていたと思われます。「時が満ちると、神はその御子を女から、しかも律法の下に生まれた者としてお遣わしになりました」と書いていますから。「アッバ、父よと叫ぶ御子の霊」と書いた時、パウロは幼子イエスのお姿を心に描いていたと思われます。パウロの数多くの書簡の中で、聖母マリアに言及している個所は、この一箇所だけです。しかし、使徒パウロの第二回と第三回伝道旅行に伴っていて、「我々は」という言葉を連発しながらその旅行記を書いているルカは、最初のクリスマス前後の出来事について直接聖母から詳しく聞いて書き残していますし、聖母について最も多く書いている福音記者でもありますから、使徒パウロも、そのルカを介して、聖母とその聖霊による神の御子ご懐妊のことなどをいろいろと聞いていたと思われます。

④ 本日の福音は、天使によって救い主誕生の知らせを受けたベトレヘム近郊の羊飼いたちの、喜びに満ちた反応について語っています。12, 13世紀の十字軍遠征が失敗に終わり、ヨーロッパから聖地への巡礼がほとんど途絶えた後に始まったルネッサンス時代には、アシジの聖フランシスコ以来の幼子イエスに対する信心を発展させて、クリスマスを祝う教会内に箱庭のような馬屋を作り、そこに幼子イエスとマリアとヨゼフのきれいな御像を飾る慣習が広まりましたが、そこにはベトレヘムの羊飼いたちの像も飾られていて、彼らが羊飼いであることを示すために、羊たちの像も置かれています。

⑤ これは、メシアがお生まれになってから千年以上も後のルネサンス人たちが、自由な想像と敬虔な信仰心で作り上げた美しいクリスマスの情景で、私はそのこと自体に反対ではありませんが、しかし、そこには2千年前の現実とは異なると思われることも幾つかあります。例えば天使ははっきりと「ベトレヘムの町の中に」と告げているのに、町の外の破れかかった家畜置場を描いたり、夜中に群れと一緒に眠っている羊たちを起こして、お生まれになった乳飲み子を捜すのに連れて行ったかのように想像したりするのは、現実離れしていると思います。聖書には「急いで行って」「探し当てた」とあり、羊を連れて行くとなると、動きが遅くなるからです。一緒に野宿していた誰かが群れ全体の見回り番をし、他の羊飼いたちが走って行ってお生まれになった幼子メシアを探し当て、拝んだのではないでしょうか。

⑥ このような多少の不完全や疑問点があるとしても、野宿していた貧しい羊飼いたちが、社会の多くの人たちの中でも真っ先に、天使からメシア誕生の知らせを受け、早速それを確認しに行ったこと、そしてそれを他の人たちにも知らせたことは、真に美しい詩的な喜ばしい話だと思います。神はこのようにして、メシアの誕生を当時の庶民たちにも知らせたのですが、この段階では果たしてどれ程人たちが貧しい羊飼いたちの話を信じたでしょうか。「しかし、マリアはこれらの出来事をすべて心に納めて、思いめぐらしていた」という聖書の言葉は、神を忘れて全てを人間中心に考える人の多い現代に生きる私たちにとっても、大切だと思います。人間中心主義からは、羊飼いたちが味わったような心の本当の深い喜びは湧いて来ません。私たちはもっと神の働きに心の眼を向けながら、聖母や羊飼いたちと共に、新しい一年を神の御手からお受けするように致しましょう。

⑦ ご存じのように、公会議後の1968年から元日はカトリック教会で「世界平和の日」とされています。今年のこの日のために現教皇がお出しになったメッセージは、まず家庭の平和、身近な社会の平和から説き起こしています。世界の平和の基礎は、私たちに一番身近な人間関係における、何よりも神の権威に従い神の愛に生きようとする平和共存の精神にあると思います。私たち相互の人間関係の中で、主キリストがもたらしたこのような平和の精神が生き生きと証しされるよう、照らしと恵みを願い求めつつ、本日のミサ聖祭を献げましょう。