2011年5月22日日曜日

説教集A年:2008年4月20日復活節第5主日(三ケ日) 

第1朗読 使徒言行録 6章1~7節
第2朗読 ペトロの手紙1 2章4~9節
福音朗読 ヨハネによる福音書 14章1~12節

① 本日の第一朗読に「ギリシャ語を話すユダヤ人たち」とあるのは、パレスチナ以外の土地、すなわちギリシャ語が通用語となっている土地で生まれ育ったユダヤ人たちを指しています。紀元前4世紀の後半にアレクサンドロス大王がペルシャ軍を撃退して、オリエント諸国をギリシャ人の支配する国となし、高度に発達したギリシャ文明を各国に広めると、ギリシャ語は国際語となって定着し、紀元前1世紀の後半にローマの将軍アントニウスがオリエント諸国を征服してローマの支配下に置いても、ローマ人のラテン語ではなく、すでに国際語として定着していたギリシャ語が、シリア、エジプトなどの各国で話されており、ローマ帝国の下で国際貿易が盛んになり、商人や労務者の人口移動が激増すると、ローマをはじめ当時のイタリア諸都市でもギリシャ語が話されるようになりました。

② 帝国の公式文書にはラテン語が使用されていましたが、外国人と交流することの多い皇帝たちやローマの官吏たちも、自由にギリシャ語を話していました。紀元前3世紀にエジプトを支配するギリシャ人のプトレマイオス王朝が、エジプト支配を安定させるため大勢のユダヤ人を優遇してエジプトに住まわせると、エジプトで生まれ育ったユダヤ人の中にはヘブライ語を知らない人たちが増えたので、旧約聖書のギリシャ語訳が紀元前3世紀の中頃に作られましたが、「七十人訳」と呼ばれるこのギリシャ語聖書は、ローマ帝国の支配下で異邦人たちにも広く読まれるようになりました。初代教会の異邦人伝道が目覚ましい発展を遂げたのは、既にこのような文化的地盤が築かれていたからです。新約聖書の原文も、全てギリシャ語で書かれています。ローマの信徒団に宛てた使徒パウロの書簡も、ギリシャ語で書かれています。使徒たちはギリシャ語を話すだけで、どの国でも宣教することができたのです。

③ ところで、そのギリシャ語圏出身のユダヤ人たちがエルサレムで滞在した時には、日々の食料の分配などで差別扱いを受け、苦情が出たというのは何故でしょうか。察するに、エルサレムの信徒たちが全財産を共有にして生活していた所に、外地に夫々自分の私有財産を持つ信徒たちが来て、エルサレムの信徒たちと食事を共にしようとしたからなのではないでしょうか。外地の出身者たちは、それぞれ自分たち独自のグループ組織を結成して生活した方が良いというのが、エルサレムの信徒たちの考えであったと思います。そこでペトロは、他の使徒たちと外地出身の信徒たちとを全て呼び集め、「私たちが神の言葉を蔑ろにして、食事の世話をするのは好ましくない。云々」という話をし、外地出身者たちの中からステファノたち七人を選ばせたのだと思います。使徒たちは祈ってこの七人の上に按手し、彼らにギリシャ語圏出身の信徒たちを組織し指導する、使徒的権限を譲渡しました。食事の世話をする務めに任命したのではありません。ステファノやフィリッポたちのその後の活動を見ますと、説教したり宣教したり秘跡を授けたりしていますから。察するに、按手によって叙階の秘跡を受けた七人を中核としてギリシャ語圏出身者の信徒団が結成されると、食事の世話などの問題は、その信徒たちの相互協力で自然に解消したと思われます。

④ ここでもう一つ、「私たちは、祈りと御言葉の奉仕に専念することにします」という、使徒ペトロの言葉に注目したいと思います。ペトロは、公生活中の主イエスの宣教活動を回顧しながら、こう話したのだと思います。主は政治活動などは一切なさらずに、ひたすら祈りと神の御言葉を宣べ伝えることとに専念しておられ、ご自身が神から派遣されて来たという証しに、病人や悪魔つきの奇跡的癒しや、死者の蘇りなどの奇跡をなしておられました。ペトロたちはこの御模範から学んで、食物の合理的分配などという一種の社会的政治的活動などには手をつけず、それらを一般の信徒たちに委ねて、主の聖なる司祭職に叙階された者たちは、何よりも主イエスのように祈りと神の御言葉の奉仕に専念すべきである、と考えたのだと思われます。主が話された「葡萄の木」の譬えからも学んで、葡萄の蔓として主の恵み・主の働きを人々に伝えることだけに、全身を打ち込んでいようと思ったのかも知れません。

⑤ 司祭としての私の数多くの小さな個人的体験を振り返って見ても、政治活動に関与せずにひたすら祈りと説教に身を打ち込んでいますと、不思議に神が私を介して周辺の人々に働いて下さったのではないか、と思われるようなことを幾度も経験しています。自分で社会のため人のために何か良い業をしようなどと企画せずに、ただ神を現存させる器、神の働きの道具であろうと心がけているだけで、私の内に内在しておられる主が、私の所属する社会のためや周辺の人のために働いて下さるように感じています。主は山上の説教の中で、「何よりもまず、神の国とその義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは皆加えて与えられる」と勧めておられますが、これが主イエスの生き方であり、主によって選出され派遣された聖職者たちの体現すべき生き方でもあると信じます。私はそのような生き方に心がけることにより、本当にたくさんの神の働きや恵みを体験させて戴きました。
⑥ 同じような体験を重ねている聖職者は、他にも少なくないと思います。そのせいか、40数年前の公会議の「現代世界憲章」第76項にも、またヨハネ・パウロ2世教皇が発行なされた『カトリック教会のカテキズム』の第2442条にも、政治体制や社会生活の組織づくりに介入することは、教会の司牧者のすべきことではなく、それは信徒の自由に委ねるべき分野であることが明記されています。現代の聖職者たちの中には政治批判などに熱心な人もいますが、これは公会議の決議や教皇の方針に背くことであり、主イエスが模範をお示しになった、神の特別の御意志によって派遣された宗教的愛の使節としての生き方にもそぐわないと思います。

⑦ 誤解がないよう重ねて申しますと、主に召されて主イエスの生き方を体現すべき聖職者は、政治運動には直接介入しませんが、多くの人の幸せのため、政治問題・社会問題の解消のため、また為政者たちが神の導きや助けを受けてより良い政治をなすことができるようにと、神の祝福と助けを熱心に祈り求めるというのが、百数十年前に教皇領がイタリア政府に奪われた後の状況の中で教皇レオ13世が明示した教会の生き方であり、その後のカトリック教会の基本方針でもあると思います。ローマ・カトリックだけではなく、ギリシャ正教もロシア正教も、伝統的にそのような生き方を続けて、苦しみながらも数多くの困難を祈りの内に乗り越えています。

⑧ 本日の福音の中で、主は「私は道であり」「私を通らなければ、誰も父のもとに行くことはできない」「父が私の内におられることを信じないのか」などと話しておられます。これらの御言葉は、主がご自身を天の御父の寵愛と恵みをこの世の人々に届けるための道、そして人々を天の御父へと導くための道と考えておられたこと、また天の御父がご自身の内に実際に現存して語ったり働いたりしておられることを、生き生きと実感しておられたことを示していると思います。多くの人の中から主によって選ばれ、叙階の秘跡で聖別された聖職者たちも、その主のように心の内に神の現存を信じながら、葡萄の木の蔓のようになって、超自然的愛の実を結ぶことに努めるべきなのではないでしょうか。聖職者だけではなく、一般の信徒や修道女たちも、それぞれ分に応じて主のこのような生き方を証しすべきだと思います。本日の第二朗読の中でペトロは、「あなた方は選ばれた民、王の系統を引く祭司、聖なる国民、神のものとなった民です」と言って、全てのキリスト者がキリストの普遍的祭司職に参与していることを説いているからです。私たちが主イエスの生き方を体現しようと努める時、神はそういう生き方をする教会を介して、この世の家庭・社会・政治・経済の全てをも豊かに祝福し、希望と喜びで満たして下さると信じます。