2011年8月7日日曜日

説教集A年:2008年8月10日年間第19主日(三ケ日)

第1朗読 列王記上 19章9a、11~13a節
第2朗読 ローマの信徒への手紙 9章1~5節
福音朗読 マタイによる福音書 14章22~33節
 
① 天から火を呼び下して真の神を証しし、偽りの神を礼拝させていた異教の祭司たち数百人を民衆に殺害させたエリヤ預言者は、王妃イゼベルに命を狙われて逃れ、神の山ホレプに身を隠しましたが、本日の第一朗読は、その山の洞穴で夜を過ごしていた時の神ご出現の話であります。宇宙万物の支配者であられる神のご出現と聞くと、多くの人は、神が何か大きな力や徴しに伴われて人間にお現れになると思うでしょう。神は勿論そのようにしてご出現になることがお出来になりますし、世の終わりの時には、私たちの想像を絶するほど大きな権力に伴われて全人類の前に出現なさると思われます。しかし、通常は深く隠れて私たちに伴っておられる神、隠れた所から私たちを見守っておられる神だと思います。

② ホレプの山で預言者エリヤに出現なさった時も、激しい風や地震や火の中でではなく、静かに囁く声が聞こえた時でした。あらかじめ「山の中で主の御前に立つ」よう命じられていたエリヤは、その静かに囁くような声が聞こえた時に、外套で顔を覆い、洞穴の入り口に出て、神からの新しい啓示を受けたのでした。神は今も小さなことの中に深く隠れて私たちに伴っておられます。神に喜んでもらおうと思うなら、大きなことを成し遂げるよりも、日常の小さなことを心をこめて立派になし、それを神にお献げしてみて下さい。日々そのように心がけていますと、神がそのような小さな献げを殊のほかお喜びになられるという徴を、体験するようになります。例えば神に清貧を誓った身である私は、現代の大量浪費の風潮に流されずに、貧困や水不足に悩む人たちとの連帯精神を重んじながら、日々小さな節水や節電に心がけています。価値観の違う人たちと一緒に生活していますので、全く自分個人の場で個人的になす小さな節水・節電ですが、神はその小さな献げを喜んで下さっているように覚えます。神も、小さなことでそっと私を助けて下さるのを数多く体験していますから。人間が自分で何かの合理的な計画や目標を設定してそれを自力で几帳面に細かく順守し、人にも守らせようとするのも一つの生き方だと思います。2千年前のファリサイ派宗教者たちはそのように努めていましたが、それよりも、隠れておられる神に心の眼を向けて小さな節約に心がける方がもっと神をお喜ばせするように思います。いかがでしょうか。

③ 本日の第二朗読に読まれる「肉による同胞」という言葉は、使徒パウロの血縁上の同族にあたる全てのユダヤ人たちを指しています。当時のほとんどのユダヤ人たちが、真の神を信奉しながらも、その神から派遣された主キリストを正しく理解できずに、ある意味ではキリストに敵対する生き方を続けていることに、パウロの心は深い悲しみと絶え間ない痛みとを感じており、その同胞たちのためなら、十字架上の主のように、自分も「神から見捨てられた者になってもよいとさえ」思っています。真の神の隠れた現存や働きに対するキリスト教信仰を知らずに、自分独りで現代生活の悩みや苦しみを背負っている無数の孤独な人たちとのこのような連帯感を、私たちも大切にするよう心がけましょう。大きなことは何もできない私たちですが、せめて日々の小さな祈りで、その人たちの上に神の祝福を願い求めましょう。

④ 本日の福音は、数千人の人をパンで満腹させるという大きな奇跡の後で、主が夜の湖上を歩いて弟子たちの舟に近付いて行かれた奇跡についての話であります。弟子たちの乗る舟は、陸から数百メートル乃至千数百メートル離れた、ガリラヤ湖の中央部に差し掛かった辺りで、逆風の波にもまれて進めずにいたようです。それは、現代のような大きな過渡期の複雑な風や浪に悩まされて、なかなか思うように進めずにいる教会のシンボル、あるいは私たち各人の心のシンボルと観ることもできましょう。主は、そういう弟子たちの舟の傍を、暗い波の上を歩いてお通りになったのです。それを見た弟子たちは、幽霊だと思って恐怖の叫びを上げましたが、主はすぐに「安心しなさい。私だ。恐れることはない」と、彼らに呼びかけられました。「私だ」という言葉は、ヘブライ語では「私はある」という神の御名とも関連しています。主は「ここに神がいる」という意味も込めて、「私だ」と話されたのだと思います。

⑤ 極度に多様化して複雑に変転する人間社会の様々な価値観が教会の中にまで入り、私たちの信仰生活まで悩ますような時、人間の理知的な考えで問題を解決しようとはせずに、まずは隠れて私たちに伴っておられる主キリストの現存に心の眼を向けるように致しましょう。外の強い風や波に心を向けると恐れが生じますが、一心に主のみを見つめて歩み、主を心の中にお迎えすると、不思議に風が静まり、主のお望みになる所へと進むことができます。これは、現代のような激動時代に生きるキリスト者にとって、忘れてならない成功の秘訣であると思います。私たち自身のため、また他の多くの今、道を求めて悩み苦しんでいる人たちのために、そのようにして信仰一筋に生きるための照らしと導きの恵みを祈り求めて、本日のミサ聖祭をお献げ致しましょう。