2012年9月9日日曜日

説教集B年:2009年間第23主日(三ケ日)


朗読聖書: . イザヤ 35: 4~7a.     . ヤコブ 2: 1~5.  
   . マルコ福音 7: 31~37.

   本日の第一朗読には、「雄々しくあれ、恐れるな。見よ、あなたたちの神を。敵を打ち、悪に報いる神が来られる。神は来て、あなたたちを救われる」という預言者の言葉が読まれますが、心の教育が大きく乱れて立ち遅れているため、現代世界にはかつてなかった程の規模で犯罪が多発したり、それが国際的に普及したりしているようです。昔の保守的ドイツ人宣教師たちの感化を受けて育った私は、これ程多くの異常な犯罪多発の背後には、無数の悪魔が策動しているのではないかと考えています。恐ろしい犯罪や各種の悲惨なテロ事件は、これからも多発し続けるかも知れません。現代世界の長引く内的地震に揉まれて、これまでの社会の安定していた地盤が液状化現象を起こし、神を無視する社会の地盤に潜んでいたものが続々と表に現れて来るからです。それに地球温暖化が進むと、今の私たちには想像できない程の深刻な災害が、多くの人を絶望的状態に追い込む事態も生ずるかも知れません。

   前述した、預言者を介して語られた神のお言葉を心に銘記し、どんな事態をも恐れずに、雄々しく生き抜く心を堅めていましょう。この世の社会や生活が不安で危険になればなる程ますます真剣に神に縋り、神に信頼と希望をもって祈るよう努めましょう。社会を内的に堕落させるような恐ろしい嵐に抵抗することは誰にとっても嫌ですが、嫌がって逃げ腰になっていると悪の勢力につけ込む隙を与えます。神の力に頼って雄々しく立ち向かおうとすると、私たち各人の心の奥底に与えられている本当の勇気が、目覚めて働き出します。神はそのような勇気と信仰と希望を堅持している人たちをご覧になると、その人たちを介して、力強く働いて下さいます。神の御言葉に対する信仰を堅持して、力強く生き抜きましょう。

   本日の第二朗読はヤコブ書からの引用ですが、ヤコブ書の122節には「御言葉を行う人になりなさい。自分を欺いて、聞くだけの人になってはなりません」という言葉があり、これがヤコブ書全体のテーマになっている、と言うことができます。本日の朗読箇所も一つの具体例をあげて、人をその外的服装などから差別扱いをしないよう、厳しく警告しています。神が私たちから求めておられるのは、福音の御言葉を受け入れて心に保つだけではなく、その御言葉に従って生きる実践であります。種蒔きの譬え話から明らかなように、主の御言葉は種であります。その種が心の畑に根を張って、豊かな実を結ぶようにする実践が何よりも大切だと思います。しかし、ここで気をつけたいことがあります。それは、私たちが主導権を取り自分の考えや望みに従って、その種に実を結ばせようとしてはならない、ということです。使徒パウロはコリント前書3章に、「私は植え、アポロは水を注いだ。しかし、成長させて下さったのは神です」と書いています。神がなさる救いの御業に仕える姿勢を堅持しながら、人々の心の中での神の働き、神の命の御言葉の成長に下から奉仕し、温かい心でその豊かな実りを祈り求める実践に励みましょう。