2013年3月10日日曜日

説教集C年:2010四旬節第4主日(三ケ日)



朗読聖書:. ヨシュア 5: 9a, 10~12. . コリント後 5: 17~21. . ルカ福音 15: 1~3, 11~32. 

    本日の第一朗読は、神の民がヨルダン川を渡って、約束の地カナンに入った直後の過越祭頃の話です。エリコの町を神の奇跡的助けによって攻め落とす前に、民はまずその近くのギルガルという平野で過越祭を祝いました。マナはなくなったので、民はその土地の産物を食べ始めましたが、この時から過越祭に酵母を入れないいわゆる「種なしパン」を食べるようになった、と聖書にあります。主キリストが制定なされたミサ聖祭の前表と言ってよい、この過越しの食事により神からの力を得ると、民は心から一つ共同体となって結束し、堅固な城壁の町エリコを攻め落とすことができた、と考えることもできます。カナン征服の出発点となったこのギルガルの地は、その後も神の民の歴史に幾度も登場しています。イスラエル人の最初の国王サウルが初めてペリシテ軍との戦いに出陣する時も、まず全軍をギルガルに集め、祈りを捧げてから出発しています。その後の預言者時代にも、ギルガルの地は大切にされていますから、神の民はヨルダン川の西にあるこの小さな平野を、約束の国での神の民の歴史の原点、神よりの助けを受ける所と考えていたかも知れません。

    私たちの日々献げるミサ聖祭にも、主キリストにおいて神の大きな力が込められています。受難死を目前にした最後の晩餐の席上、主が極みまでの愛を込めてお定めになったこの祭式に主が実際に現存しておられることを、幼子のように素直な心で堅く信じましょう。その主と内的に一致する度合いに応じて、私たちも神からの大きな祝福と助けとを、私たち自身の上に、また周辺の社会や人類全体の上に、呼び降すことができます。本日の第二朗読に使徒パウロが説いているように、実際「キリストと結ばれる人は誰でも、新しく創造されたもの」になるのです。第二ヴァチカン公会議の教えによれば、一般の信徒も主キリストの普遍的祭司職に参与し、世の人々を神と和解させ、その罪の赦しと神の義とを得させる使命と力を身に帯びるようになっています。この使命を心に銘記しつつ、ミサ聖祭を捧げましょう。

    しかし、ミサ聖祭は主イエスの受難死に内的に深く一致して献げるのでなければ、、その祭式の実質的功力に参与することも神の大きな祝福を世に齎すこともできません。この祭式を献げる時には、私たちも主イエスと一致して自分の死を先取りし、自分の人生と日々の苦しみの全てを主のいけにえに合わせて神にお献げ致しましょう。その時初めて、私たちは内的に主の祭司職に参与するのであり、神の祝福を世に呼び降すことができるのです。これは、カトリック教会の伝統的教えであります。近年日本では、ミサ聖祭を人と人との外的交わりの場と考える人たちもいるそうですが、私はローマ郊外ネミ修道院で公会議典礼委員会の下働きをしていた時、「感謝の祭儀」という言葉を典礼に導入させたドイツ人のイエズス会典礼学者ユングマン神父と一緒に庭を散歩し、ミサ聖祭について話し合ったこともあり、ミサ聖祭を神への感謝の「いけにえ」と考えることについては、自信をもっています。

    本日の福音には、ギリシャ語のアポッリュ―ミという動詞が3回も登場しています。これは、本来あるべき所から離れて滅びへと転落して行くことを意味している動詞ですが、日本語の訳文では、「死にそうだ」だの、「いなくなっていた」などと言い替えてあります。同じルカ福音書15章の「見失った羊」と「なくした銀貨」の譬え話にもアポッリューミという動詞が5回使われており、そこでも「見失った」とか、「なくした」などと訳し替えてあります。しかし、ギリシャ語の原文では、もっと深い意味を持った動詞のようです。主はこれらの譬え話で、父なる神が、弱さから転落して行くものに対する特別な憐れみの配慮を、またその救いと立ち直りを切に望んでおられることを示す、微妙な意味合いの言葉なのではないでしょうか。

    2千年前のオリエント・地中海諸地方の社会は、多くの点で現代社会を先取りした雛形のような印象を与えます。アウグスト皇帝の政策で促進されたシルクロード貿易の隆盛で都市部の商工業者は急速に豊かになると、農村部の社会は貧困に苦しむようになり、貧富の格差は大きくなりました。すると、若者たちが仕事のある都市部に移る人口移動の流れが盛んになって、農村部の地域共同体の結束も伝統的価値観も通用しなくなり、各地から都市部に出た若者たちが自由気ままに生活し始めて、それまでの社会的伝統が拘束力を失って崩れ始め、特に心の教育が非常に難しくなっていたように思われます。これは数十年前から日本でも、また今の中国やインドなどでも、実際に見られる社会現象であると思います。同じ家に一緒に住んでいても、親子で価値観が大きく違っていたり、兄弟姉妹の間でもそれぞれ違っていたりすることは、2千年前のオリエント諸地方でも、珍しくない現象になりつつあったのではないでしょうか。それが、本日の福音の譬え話にも反映していると思います。

    それ以前の古い時代には考えられなかったことですが、譬え話の中の次男は、父親がまだ生きているのに、死んだら自分が貰うことになるであろう遺産を早く分けてくれるよう要求しています。全てを自分中心に理知的に考え、親も社会も意のままに利用しながら生活しようとする利己主義の塊のような人間は、現代社会にも少なくありませんが、自分の欲を統御する自制心の欠如が問題です。そのような人間をいくら言葉で説得しようとしても無駄です。言葉は、既に利己主義でいっぱいになっている人の心に入ることができず、その心が次々と生み出す理知的理屈を刺激し、反駁されるだけでしょうから。実際の現実の全体像に対して盲目になっているその心を目覚めさせるには、嫌という程の苦い失敗体験が必要なのではないでしょうか。そこで譬え話の中の父親は、次男の要求する財産を分けてやりました。彼はそれを間もなく金に換えて、遠国へと旅立ちました。しかし、欲を制御する力に欠けている人間が大金を持っていると、そこにはあの手この手と巧みに誘惑する者たちが、連日のように寄って来ます。こうして次男は財産を全て浪費し、その上にひどい飢饉も体験して、漸く心がこの世の本当の現実に目覚め、生きるために父の家に戻って、これからは父の雇い人の一人にして頂こうと思って帰って来ます。父親は、息子のこの目覚めの時を切に待ちわびていました。帰って来る次男の姿を見つけると、走りよって首を抱き、接吻しました。「お父さん」と呼びかけて、これからは全面的に父に従い、父に仕える心になっている息子は、父親にとって以前よりも遥かに愛すべきものに思われたことでしょう。聖書の教える改心とは、このように神の愛の懐に立ちかえり、神の心を心として神中心に生き始めること、全身全霊を尽くして神に仕えようとすることを意味していると思います。

    譬え話の後半に登場する長男も、心に問題を持っていました。外的には一度も父親に反抗せずに働いていますが、心の中は利己主義でいっぱいになっていたようです。ですから、日々父親の傍で一緒に生活していても、父親の価値観や温かい思いやりの精神を自分のものにできず、恐らく心を割って親しく話し合うこともせずに、ただ父親の死ぬのを待っているような日々を過ごしていたのではないでしょうか。譬え話の中では、弟のように「お父さん」と親しみを持って呼びかけてはいません。本日の福音では、「私は何年もお父さんに仕えています」と邦訳されていますが、原文では「あなたに仕えています」となっています。弟に対しても兄は冷淡に振る舞い、「弟」とは言わずに、「あなたのあの息子が」などと表現しています。父と一緒に住んでいても、心は父から遠く離れていた証拠でしょう。「私のものは全部お前のものだ」という父親の言葉から察すると、長男が願えば、父は友達と宴会を開くためにも喜んで支出してあげようとしていたのでしょうが、既に心を閉ざしていた長男は、父に頭を下げて願うことはしなかったのではないでしょうか。彼は、弟を罪人として見下げています。彼の理知的な心の中では、一度転んでしまった者は、後で改心しても認められない、いつまでも軽蔑されるべき罪人なのです。

    これが、当時の律法学者・ファリサイ派の考えでもあったのではないでしょうか。彼らの間では、一度徴税人あるいは罪の女となった者は、たとえ改心しても、いつまでもその罪の穢れを背負っている、軽蔑に値する存在に留まると考えられていたように思われます。しかし、父なる神は、冷たい掟中心に生活している九十九人のそのような冷たい義人よりも、温かい神の愛の御心に立ち返り、神の御旨中心に日々神と親しく生きようと改心した、一人の罪人の方をお喜びになる方なのです。長男がその後どのようになったかについて主は黙しておられますが、それは私たち各人に、それぞれ自分なりに一層深く考えさせるためであると思います。単に外的に日々ミサ聖祭に与かり、神の近くで祈っているというのではなく、内的にも神の御心を自分の心として、神と共に生きる温かい人間、神の愛の生きている道具になるよう努めましょう。