2014年9月28日日曜日

説教集A2011年:第26主日(三ケ日)

栄光の賛歌 信仰宣言<祈願456 叙唱578~>
 第1朗読  エゼキエル書 18章25節~28節
 答唱詩編  137(1, 2, 3)(詩編 25・4+5a, 8+9, 10+14)
 第2朗読  フィリピの信徒への手紙 2章1節~11節 △2・1-5
 アレルヤ唱 273(26A)(ヨハネ10・27)
 福音朗読  マタイによる福音書 21章28節~32節

  本日の第一朗読は、バビロン捕囚の状態で希望を持てずにいたイスラエルの民に、預言者エゼキエルが伝えた神の言葉であります。主は言われます。「お前たちは、主の道は正しくないと言うが、正しくないのは、お前たちの道ではないか」と。人祖アダムの罪を背負って生まれて来た私たち人間は、何事も自分の望みや自分の見聞きしている体験を中心にして判断する傾向を、生まれながら無意識の内にかなり強く保持していますが、神はまず、私たちが各人が皆心の奥底に受け継いでいる「古いアダムの命」に根ざしたような判断に疑問を抱くよう、問いかけておられるのではないでしょうか。バビロン捕囚、あるいは何かの大災害に苦悩する時、その苦しみに直面して人々の産み出す判断だけを中心にして考えていては、悲観的に見えることが多すぎて、近い将来に明るい希望を抱くことができなくなります。そのような時にはまず神のお考えを謙虚に尋ね求め、人間たちの産み出す考えよりも神のお考えに信仰をもって従おうと努めましょう。そして神がその道を教えて下さるよう祈り求めましょう。本日の第一朗読では、神の民が自分たちを中心にした生き方から離れて「悔い改め」、神のお考え中心の「正義と恵みの業を行う」なら、「自分の命を救うことができる」「必ず生きる。死ぬことはない」と、神がその民に救いに至る「主の道」を示し、新しい救いを保障して、希望を与えようとしておられるのだと思います。

  第二朗読では、ローマで捕囚状態にある使徒パウロがフィリッピの信徒たちに、自分と「心を合わせ、思いを一つにして」相互の愛と一致に励むよう勧めています。「何事も利己心や虚栄心からするのではなく、へりくだって互いに相手を自分より優れた者と考え、めいめい自分のことだけでなく、他人のことにも注意を払いなさい」と具体的に書いている言葉から推察しますと、まだ若いフィリッピの信徒団の中には、少しでも他の人たちの上に抜け出よう、他の人たちに自分の能力や努力を認めてさせようとしている人たちが、少なくなかったのかも知れません。

  このような雰囲気は、若い人たちが多く集まっている神学校などでもごく普通に見られます。その若々しい意欲は結構なのですが、私が神学生時代にそういう雰囲気の中で体験したことを回顧しますと、常日頃少しでも同僚の上に立とう、先を行こうとしていた神学生の多くは、結局長続きせずに神学院を去ったり、病気で体調を崩し別の道に進まざるを得なかったりしたように思います。病気で神学院を去った人たちの中には、能力も祈りの熱心も同僚を凌いでいた人たちもいましたが、そういう挫折の実例を幾つも目撃しているうちに、私は、司祭への召命は神からの特別な愛の賜物で、自力でどれ程努力してもそこには留まり続けることは難しく、日々謙虚に神の助けを祈り求めつつ、ひたすら神に支えられて生きようと努めることによってのみ、その道に留まり続けることができるのではないかと思うようになりました。

  本日の福音は主イエスが祭司長や民の長老たちになされた話ですが、始めには「いやです」と父の望みに従うことを拒んだ兄が、後で考え直して出かけ、父の望みに従ってぶどう園で働いたことが、主によって評価されています。このことは、過去にはどれ程神に背き怠惰であっても構わないから、来臨なされた主を目前にしている今この時点で悔い改め、自分中心の生き方から離れて、日々まず自分に対する神の御望みを謙虚に尋ね求め、神の御旨中心に生きようとする生き方に転向するなら、神の憐れみによって救いに至ることを示していると思います。恵み深い主はそのような救いの時、悔い改めの時を、今私たちにも提供しておられるのではないでしょうか。自力主義に流され勝ちであったこれまでの自分の生き方を改め、小さな事柄についても神の御旨に従って生きようとする心、幼子のように神の力に頼って生きる心を新たにしながら、本日のミサ聖祭を献げましょう。


  本日は「世界難民移住移動者の日」とされています。世界には今なお悲惨な状態に置かれている難民や移住者たちが、非常に多くいるようです。特に20年程前からの内戦がまだ燻ぶっているソマリアを始め、そのソマリアからの難民を数多く抱えている東アフリカの諸国では、国連難民高等弁務官事務所によると、飢饉のため1200万人もの人たちが緊急の援助を必要としているそうです。わが国にも諸外国からの移住者が年々増加していますが、その人たちに対する国家や地域社会からの配慮と援助もまだまだ不足していると聞いています。現代世界のこのような悲惨な貧困を考慮しますと、神は私たち人類がこれまでのこの世的考えや生き方を改めて、労苦する全ての人に対する復活の主の愛に生きること、その愛を実証することを強く求めておられるのだと思います。世の終わりまで私たち人類と共にいて下さると約束なさった主イエスは、私たちが主と共に、苦しむ全ての人たちとの連帯精神や奉仕的愛に生きようと努める度合いに応じて、問題解決のために大きく働いて下さると信じます。大きなことはできない私たちですが、その復活の主と一致して一人でも多くの人の心が、この深刻な問題の解決に積極的に協力するよう、神からの照らしと助けの恵みをこのミサ聖祭の中で願い求めましょう。