2014年11月3日月曜日

説教集A年:2011年11月3日、修道女たちに

 第1朗読  ローマの信徒への手紙 14章7節~12節

 答唱詩編  73(1, 2)(詩編 27・1, 4)

 アレルヤ唱 276(諸聖人)(マタイ11・28)

 福音朗読  ルカによる福音書 15章1節~10節

〔聖マルチノ・デ・ポレス修道者 p103<祈願874 叙唱617>〕

(大分教区司教座教会献堂記念日)


   主はマタイ24章に、「天地は滅びるが、私の言葉は決して滅びない」と宣言なさいましたが、私たちの今生きている時代は、既にその終末時代に入っているのではないでしょうか。神はこれからの時代に、神中心に生きていないもの全てを徹底的に滅ぼそうとしておられるように思います。私は「神を信じる」とは、自分の傍近くにおられる神の現存を感知し、その神からの小さな呼びかけや示しにもすぐに従うことと教わり、またそのように信じています。これからの時代には、無数の聖人たちが実践していたこのような信仰の生き方が大切だと思います。

   技術文明が極度に発達し、個人主義・自由主義が世界中に流布しつつある現代社会では、自然界も人間社会も神も、自分中心の考えで自由に利用する生き方に慣れ親しんでいる人が多いようですが、神はこれからの終末時代に、そのような生き方に留まり続ける人を残らず滅ぼされると思います。気を付けましょう。東日本大震災以来「正常化バイアス(bias)」という言葉を時々耳に致しました。これは、「間もなく津波が来ます。すぐにもっと高い所に避難して下さい」という指示を耳にしても、果たしてその津波が今自分のいるここまで来るだろうか、などとこれまでに得た知識や経験などから考え始め、すぐには決断させない無意識界の心の先入観などを指しているようです。日頃すぐに従うという生き方はしておらず、いつも様々な情報をまず自分で理解してから、自分の対応を選択し行動するという生き方に慣らされているからなのではないでしょうか。東日本大震災の時には、巨大地震の発生から津波の到来まで15分乃至40分前後の余裕があったのに、そのために逃げ遅れて命を失った人が少なくなかったようです。

   岩手県最北端の海岸に位置する洋野(ひろの)町では、1993712日夜の北海道・奥尻島での津波などに学んで、日頃から大地震の時に避難する道路を各部落毎に整備し、声を掛け合って高台へ避難する訓練をしたり、避難路の草取りをしたりしていたので、津波は15mの高さにまで押し寄せ、住宅や水産業関係の損害は66億円にもなりましたが、死傷者・行方不明者は一人もいない唯一の被災地となりました。やはりマスコミなどからの情報を待たずに、大地震の時には声を掛け合ってすぐに高台へ避難するという日頃の訓練が、大切だと思います。大自然を介して示される神からの導きには、自分で理解できなくてもすぐに従うという実践的生き方を日頃から心がけている信仰の人も、そのような場合にすぐに行動して救われると思います。世界各地で異常気象や人間の想定外の災害が多発するかも知れないこれからの時代のため、神からの導きや示しには、自分でその理由を理解できなくてもすぐに従う、神の僕・神の婢の生き方を大切にしていましょう。そして神が私たちの日常茶飯事の中で絶えず私たちに伴っておられ、屡々小さな事を介して私たちの心に呼びかけ、私たちを導いて下さるという、神の現存に対する信仰感覚や、神の導き中心主義の生き方を日々磨いていましょう。それが、これからの不安な時代に正しく賢明に生き抜く生活の知恵だと思います。

   私たち修道者には、修道会の会憲・会則というものがあります。それはキリスト時代のユダヤ人も現代のユダヤ人も大切にしている律法と同様に、神の摂理によって与えられた神よりの法であります。その法は、私たちがそれを忠実に順守することによって、自分中心主義の古いアダムの罪に打ち克ち、神の御旨中心に生きるよう自分の心を矯め直すための手段であり、心が神からの呼びかけに対する霊的感覚を磨き、神の声に聞き従うようになるための基盤造りの手段であります。その手段である法を最高のものにし、神の御旨や神の働きをその法の下に置かないように気を付けましょう。2千年前のファリサイ派の人たちは神を信じ、神を崇めてはいましたが、自分たちの受け継いだ律法を最高のものとし、神もその法に従って神のためにと思って為している自分たちの働きに報いて下さると信ずるような、人間中心の本末転倒の宗教心で自主的に生活していたようです。ですから主は弟子たちに、「ファリサイ派のパン種に気を付けなさい」と警告しておられます。それは神の御旨中心主義ではなく、神をこの世から遠く離れておられる存在と考え、人間の考えや人間の価値観を中心にして営む宗教生活だからだと思います。


   現代の私たちも気を付けましょう。これからの終末時代には、私たち人間の想定外のことが次々と発生すると思います。神がますます私たちの間近に臨在して、私たちを人間中心主義から救い出し、神の御旨中心の生き方へと悔い改めさせようとなさるからだと思います。小さき聖テレジアのように霊的幼児の心に立ち返って、神の愛の導きに対する無意識界の心の感覚を鋭敏にし、神の声に忠実に従うことによって、これからの不安な時代を乗り切るように心掛けましょう。神はそのようにして信仰に生きる人、善き牧者の声を正しく聞き分けて従おうとしている小羊たちには、真に恵み深い憐れみの神だと思います。