2014年11月16日日曜日

説教集A2011年:第33主日(三ケ日で) 

第1朗読  箴言 31章10節~13,19節~20節,30節~31節

 答唱詩編  103(1, 2)(詩編 128・2+3ab, 3cd+5+6a)

 第2朗読  テサロニケの信徒への手紙一 5章1節~6節

 アレルヤ唱 274(33A)(ヨハネ15・4a+5b)

 福音朗読  マタイによる福音書 25章14節~30節 △25・14-15, 19+21


   本日の第一朗読の出典『箴言』は、「主を畏れる知恵」(9:10)の観点から様々の格言を集めた人生訓で、本日の朗読箇所はその最後の31章に読まれる、マサの王レムエルが神信仰に生きたその母から受けた諭しの言葉であります。当時の女たちは、社会的な制約もあって大きなことは何もできませんでしたが、しかしその女たちが神に目を向けて為す小さな業に神は特別に御眼を向けて、彼女たちの住む町に、神によるご加護の恵みを豊かにお与えになられたのではないでしょうか。

   第二朗読は、世の終わりの主の来臨に強い関心をもっていたテサロニケの信徒団への使徒パウロの書簡からの引用ですが、パウロはその中で、人々が「無事だ、安全だ」と言っているその矢先に、突然破滅が襲うのです、ちょうど妊婦の産みの苦しみがやって来るのと同じで、決してそこから逃れられない、などと述べています。典礼暦年の最後を間近にして、教会は世の終わりを間近にした時のための心構えを、教えようとしているのだと思います。日々出遭う小さな仕事や愛の奉仕を、神に感謝しながら喜んで為す生き方を続けている人は全て「光の子」で、その奥底の心は、ちょうど私たちの体の心臓や肺のように、無意識の裡にいつも目覚めて働いています。そのような人には、主の日の恐ろしい破滅が突然に襲うことはない、とパウロは自分の体験に基づいて教えているのだと思います。無数の小さな体験から目に見えない神のご保護や導きというものを確信するに至ったパウロの述懐だと思います。私たちも自分の体験から実践的に、神のそのような導きやご保護を体得するに至るよう、日々小さな愛の奉仕に心掛けていましょう。そしてパウロが「光の子、昼の子」とされている人たちには、「眼を覚まし、身を慎んでいるなら」「主の日が盗人のように突然あなた方を襲うことはない」と保証している、この言葉をしっかりと心に刻んで置きましょう。

   ところで、「身を慎む」とは、具体的にどういう生き方をすることでしょうか。現代のような豊かで便利な時代には、先進国に住む多くの人は自分の望みのままに何でも自由に利用しながら生活し勝ちですが、その時は、外的知識や技術を利用しながら自主的に働く私たちの自我が心の主導権を握っていて、神の憐れみに縋りながら貧しく清く神の博愛に生きようとする、心の奥底の自己は眠ってい勝ちです。しかし、しかし、既に70億を超えた人類のうち少なくとも数億人の人たちは、今でも水不足・食料不足や病原菌の多い劣悪な自然環境の中で、あるいは故郷を奪われた避難民となって、互いに助け合い励まし合いながら生きるのがやっとの生活を続けています。生命の危機にさらされているその人たちとの連帯精神を新たにし、その人たちの労苦を少しでも和らげるための神の助けを願って、個人的にも日々祈りをささげたり、小さな節水・節電などに心がけたりしていますと、その小さな実践の積み重ねによって神の献身的愛に生きようとする奥底の自己が目覚めて来るのではないでしょうか。そして隠れた所から私たちに伴い、私たちの心の奥の無意識界にそっと呼びかけて下さる神のかすかな呼び声に対する奥底の魂の感覚も磨かれて来ます。パウロの言う「光の子、昼の子」というのは、そういう生き方をしている人のことを指しているのではないでしょうか。


   本日の福音にある話は、天の国について主が語られた譬え話であります。恐ろしい程高額の基金や儲けの話が登場しますが、これはこの世の商売や儲け仕事についての話ではありません。1タラントンは6千デナリオンで、当時は一日の日当が1デナリオンでしたから、1タラントンは約20年分の賃金に相当することになるからです。この大金は神から天国で生活する資格を自分の献身的愛の奉仕で獲得するために預けられた恵みで、この世の生活のための金ではありません。私たち各人の心の奥には、天国で幸せになるためのかなり大きな霊的資本金が既に預けられているのではないでしょうか。その霊的資本金はこの世の生活のためには「少しのもの」に見えるでしょうが、私たちはその霊的愛の資本金を、日々祈りと小さな奉仕愛の実践に励むことによって増やすことに努めているでしょうか。自分のこの世的生活にだけ没頭していますと、神よりのその貴重な資本金を土の下に眠らせてしまい、やがて「役立たずの僕」として、天国に入れてもらえなくなります。主のこの警告も、しっかりと心に受け止め、刻み込んで置きましょう。