2015年1月1日木曜日

説教集B2012年:2012年神の母聖マリアの祝日(三ケ日)

第1朗読 民数記 6章22~27節
第2朗読 ガラテヤの信徒への手紙 4章4~7節
福音朗読 ルカによる福音書 2章16~21節

   皆様、新年おめでとうございます。元日は「国民の祝日」で、わが国では古来全ての人が仕事を休み、新しい年を迎えたことを祝賀し合って来ました。それでローマ教皇庁は、公会議後にカトリック典礼や祝日表の見直しが行われた時、日本の教会に、元日をカトリック者の「守るべき祭日」とするよう強く勧めたそうですが、当時の日本の司教団は、まだカトリック国になっていない日本では、元日にカトリック者でない友人・知人が年始回りに来訪することが多いなどの理由で「守るべき祝日」にはせず、ミサに出席するか否かは各人の自由に任せようとしました。しかし、教皇庁からの重ねての強い要請を受けて、遂にクリスマスと元日との二日を、日本におけるカトリック教会の「守るべき祭日」と定めました。けれども、それ以前には元日は日本で「守るべき祝日」とされていなかったので、司教団のこの決定を知らずにいる信徒も多く、教会も信徒たちに元日を「守るべき祭日」として強調しなかったので、日曜毎にミサに出席する信徒でも、元日のミサには来ない人が多いように見受けます。しかし、今年は元日が日曜なので、ミサに出席している信徒が多いのではないでしょうか。この機会に、各教会で元日が日本では「守るべき祭日」であることを信徒に周知させて欲しいと思います。

   年の初めの元日はどこの国でもお祝いされていますが、アジアではまだ伝統的な太陰暦の元日、すなわち一カ月程後のお正月を大きく祝っている国が少なくありません。わが国でも昔は同様でしたが、しかしアジア諸国に先んじて明治5年に太陽暦を導入し、欧米諸国と一致して太陽暦の元日の方をより大きく祝うようにして来ました。察するに、40年程前のローマ教皇庁は日本人のこの積極性を高く評価し、昔は幼児イエスの割礼の記念日、イエスと命名された記念日とされていた元日を、新しく「神の母マリアの祭日」として祝われることになった機会に、せめて元日が全国的に大きく祝われている「日出る国」日本では、この日をカトリックの「守るべき祭日」として祝い、全世界の教会にアピールして欲しいと、一旦は日本の司教団に拒否されても屈せずに強く依頼し、日本カトリックの「守るべき祭日」にしてもらったのではないでしょうか。この祭日は後に「世界平和の日」ともされ、全教会が世界平和のために聖母の取次を願いながら祈る日とされています。教皇のこのような期待に応え、私たちも世界のカトリック教会の先端に立って聖母の取次を願いつつ、世界平和のためこのミサ聖祭を捧げましょう。

   一週間前のクリスマスの説教に、私はこの2012年に今の世界は一つの大きな転換期を迎えるのではないかというような話をしましたが、事実この一月には注目されている台湾の総選挙が行われ、三月にはロシアで大統領選挙、五月にフランスで大統領選挙、十一月にはアメリカで大統領選挙が行われます。そして中国でも今年の秋の第18期党大会で、国家主席が交代することになっています。四月に行われる一院制の韓国国会議員選挙の結果も、2週間前に急死した金日成(   )の後を継いだ金正恩(   )の北朝鮮が、どのような動きを示すかも気になります。今年はやはり、世界が大きく変動する年になるかも知れません。本日の第一朗読には、神がモーセにお与えになったイスラエルの民を祝福する言葉が読まれますが、この三カ条の祝福の言葉は、その時以来旧約時代の終りまで、毎年祭司がイスラエルの民に向かって唱える伝統となっていました。現代の私たちも、神から授けられたその祝福の言葉を、新たに受け継いで全人類のために唱え、各種の大きな悩みや困難を抱えている現代の人類の上に神の祝福を祈り求めましょう。

   クリスマスの日中の説教にも申しましたが、昨年九月下旬にドイツ政府の招請で三度目に故国ドイツを訪問し、この機会に初めて東ドイツにまで足を伸ばした今のローマ教皇は、現代世界の趨勢に合わせて司祭の独身性を廃止し、女性の司祭職を導入せよなどの様々の要求を突きつける、かなり強いマスコミ批判に曝されました。教皇は伝統を重視しそれにはっきりと抗弁なさいましたが、今のドイツ社会は保守的教皇のそのような伝統的見解を全く無視しています。ローマ教皇は、今後も増々激しく今の人類社会から批判や攻撃を受けるのではないでしょうか。福音書を読みますと、二千年前のユダヤには救い主の出現に対抗して数多くの悪霊が働き始めたようですが、終末的様相を呈している現代にも、無数の悪霊たちが働き始めているのではないでしょうか。これまでの社会には見られなかったような悲惨な殺人行為や無差別殺戮が、日本でも欧米でも多発しています。しかもその殺戮犯自身は生真面目に生活して来たおとなしい人間であって、自分がなぜそのような殺人行為に走ったのか、その理由が自分でもよく分からず、精神医にまわされて精神鑑定を受けたりしています。魔が差したのではないでしょうか。政治不安・社会不安・経済不安がいや増すと思われるこれからの終末的時代には、諸国・諸民族の伝統的流れが根底から崩れ始め、同時に悪霊たちの働きも私たちの想定を絶する程激しく、頻繁になるのではないでしょうか。神の婢としての生き方を堅持しておられた聖母は、それらの悪霊たちに対抗して神中心・キリスト中心の精神で生活するようにと、魔の差す出来事の多発する不安な時代に生きる私たちに、強く呼びかけておられると思います。年の初めに当たり、聖母と共に神中心・キリスト中心に生きる決意を新たに堅めて、神にお捧げ致しましょう。


   本日の福音には、羊飼いたちが「飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子を探し当てた」とありますが、十字軍遠征の失敗で聖地に行けなくなった時代に生まれ育ったルネサンス画家たちは、この言葉から当時のイタリアの田舎町の町外れに多く見られた家畜置き場を連想し、そのような家畜置き場で生まれた救い主の美しい絵を数多く描きました。私もイタリアの田舎町の病院付き司祭の代わりとして、2週間余り滞在した時にそのような家畜置き場を見たことがありますが、しかし、ルネサンス人たちの想像は、それ以前の古代教会の言い伝えとは違います。天使ははっきりと「ベトレヘムの町の中に生まれた」と告げていますし、事実4世紀にコンスタンチヌス大帝の母へレナ皇后が現地のキリスト者たちの伝えを精査した上で確認した救い主の生誕地は、今のベトレヘム市中心部から100m程の所にあり、2千年前にはダビデ家の人々が住んでいた、ギリシャ語でカタリマと言われていた広間へのぼる階段の下にある、驢馬などを繋いで置く所、現代の自家用車置き場のような所だったようです。そこは道路からすぐに見える所でしたから、羊飼いたちは当時人口2千人程の小さな町ベトレヘムの中心部近くで、簡単にその幼子を見出すことができたと思われます。なお、当時は驢馬が庶民のごく普通に所有する家畜で、馬は支配者の配下にある軍人の所有物でしたから、ルネサンス画家たちのように馬や牛を幼子メシアの傍に描くのは、時代錯誤だと思います。エルサレム入城の時にも、メシアは驢馬に乗って入城なさいました。…..