2016年8月7日日曜日

説教集C2013年:2013年間第19主日(三ケ日で)

第1朗読 知恵の書 18章6~9節
第2朗読 ヘブライ人への手紙 11章1~2、8~19節
福音朗読 ルカによる福音書 12章32~48節

   日本のカトリック教会は、ローマ教皇が1981年に広島でなされた「平和アピール」に応え、その翌年より毎年の86日から終戦記念の15日までを「平和旬間」と定めて、世界平和のためのさまざまな共同的祈りと催しを致しています。今日はその平和旬間中の日曜日であります。それで本日は世界平和のために、このミサ聖祭を献げます。ご一緒にお祈り下さい。
   本日の三つの朗読聖書は、いずれも小さな弱い者たちのグループが、神に信仰と信頼の眼を向けながら待っている姿を描いていると思います。そのグループの生きていた時代はそれぞれ大きく違っていて、第二朗読はアブラハムとその家族の生き方を、第一朗読は大きな不安の中でエジプトを夜に脱出し、心を合わせて荒れ野の旅を続けたイスラエルの民のことを、また福音は、まだ呼び集められて間もない主の弟子たちの小さな群れと、その弟子たちに主が話された励ましと警告の説教を扱っています。本日ここに集まっている私たちも、真に小さな弱いグループです。お互いに年齢も進んでおり、健康の上でもいろいろと不安を抱えている人たちの群れだと思います。しかし、アブラハムとその家族のように、あるいはモーセに率いられてエジプト軍の圧力や追跡をかわしながら荒れ野の道を進んだイスラエルの民のように、神の導き・働きに全てを委ね、不安の内にも一日一日を神に対する希望と愛の心で生き続けているなら、神は必ず私たちを護り導いて下さると信じます。この世の弱い自然的人間の力にだけ眼を向けることなく、何よりも全能の神の力に大胆な信仰と信頼の眼を向けながら、生活し続けましょう。

   主は本日の福音の中で、「腰に帯を締め、ともし火をともしていなさい」「主人が帰って来た時、目を覚ましているのを見られる僕たちは幸いだ」「主人が帰って来た時、言われた通りにしているのを見られる僕は幸いだ」などと弟子たちに教えておられますが、これらの言葉を皆信仰の立場から内的な意味で受け止め、日々神に対する希望と愛の精神を新たに目覚めさせながら、神による救いの時を忍耐強く忠実に待ち続けましょう。私は十数年前からここで皆様と共に神に土・日のミサを捧げつつ、神は私たちのこの小さな群れに特別に御眼を注いで下さっているように感じています。東海大地震や風水害などの自然災害からも護られて、神に感謝の祭儀を捧げて居れるのですから。
   ご存知のように、今年の春頃からは世界の至る所で異常気象が多発しています。風水害の犠牲者や、熱中症などで病院に運び込まれる人たちが例年よりも多いようです。人為的ミスなどで発生する交通事故や、新しい詐欺事件や犯罪も増えているのではないでしょうか。新たな政治不安や外交不安に悩まれている国々もあると思います。水不足や燃料不足や電力不足、その他様々の不安要素が増えて来て、これからの世の中には物騒な事が多発するかも知れませんが、ひたすら神の導きや助けに信仰と信頼の眼を向けながら全ての乱れに対応し、希望をもって世界平和のため、神に御保護とお導きを願い求めましょう。


   今年の110日の毎日新聞に、今年の3月末にパンスターズ彗星が、11月末にアイソン彗星がやって来ること、いずれもこれまで来たことのない、一昨年と昨年に発見された彗星で、特にアイソン彗星は「史上最も明るい大彗星になる可能性がある」ことを読んだ時、私はすぐこれらが、かねて聖母マリアからも予告されていたあの警告の彗星ではないかと思いました。戦後、特に1970年代、80年代に世界各地でかなり多くの人たちにご出現になったり、メッセージをお与えになったり、血や涙をお流しになったりなさった聖母マリアは、24, 5年前から全くご出現もメッセージも与えずに与えずに沈黙しておられるようですが、それはオーストラリア人のある人に予めお話しになった通りで、私はそれを「嵐の前の静けさ」として受け止めていました。今年現れる二つの彗星はわが国のマスコミではその珍しさと明るさの故に歓迎されていますが、私はそれらを世の終わり前の大災害を予告する警告の彗星と思っています。春先のパンスターズ彗星は、まだ小さくて肉眼ではあまり観測できませんでしたが、しかしこの彗星が到来した頃から世界の気象は異常を記録し始め、人類は西でも東でも嘗て経験しなかった程の異常気象に悩まされているのではないでしょうか。「信仰年」が終わる今年の11月末以降には、アイソン彗星の到来でもっと異常な出来事や詐欺犯罪などが多発するかも知れません。ヨハネ第一書簡にも読まれる通り、世の終わりの時代には、反キリスト即ち悪霊が数多く活躍するようですから。しかし、そのような不安を感じたら、聖母マリアに助けを願い求めて下さい。聖母は、そのような悩みに陥っている人を助ける、特別の使命を神から与えられているようですから。マタイ24章前半には、畑に二人の男がいれば一人は連れて行かれ、一人は残される、二人の女が臼をひいていれば一人は連れて行かれ、一人は残される、という世の終りについての主のお言葉がありますが、私はこの「連れて行かれる人を」を、いつまでも滅び行くこの世の中に取り残されずに、聖母により早くあの世の雲に救い上げられる人たちと受け止めています。悪霊たちの働きで異常事象が多発しても、聖母に助けを祈り求めましよう。きっと救って頂けます。