2016年10月23日日曜日

説教集C2013年:2013年間第30主日(三ケ日で)

第1朗読 シラ書 35章15b~17節、20~22a
第2朗読 テモテへの手紙二 4章6~8、16~18節
福音朗読 ルカによる福音書 18章9~14節

  本日の第一朗読は、紀元前2世紀頃に書かれたシラ書からの引用ですが、そこでは神を畏れることに始まる生き方が勧められています。自分がどれ程弱い貧しい人間であっても、また自分の歩んで来た人生がどれ程怠りと失敗の連続であったように見えても、主に信頼し、主に助けを願い求める心があるならば、心配しないよう心がけましょう。第一朗読にもあるように、全てをお裁きになる主は誰に対してもえこひいきを為さらず、貧しい者、虐げられている者、孤児、寡婦たちの願いに特別に御心を留めて下さる方ですから。神の御旨に従って主に仕えている、そういう弱い人や謙虚な人の祈りは、「雲を突き抜けて主の御許に届く」とまで述べられています。

  察するにこれらの言葉は、神を身近な存在と信じてその働きを実感している著者の、数多くの体験に基づいて語られているのではないでしょうか。実は、私の過去数十年間の体験を振り返ってみましても、また私がこれまでに見聞きした多くの実例を思い出してみましても、やはり同様に断言してよいように思います。日々小さな事で度々神に対する忠実に背く、信仰心も意志力も弱い子供のような私ですが、長年にわたる自分の人生体験を回顧しますと、神は実際に私の全ての言動を見ておられ、遅かれ早かれその全てにそれぞれ裁きや報いを与えておられると確信しています。目に見えなくてもいつも私たちに伴っておられるその父なる神の御前では、私たちは幼子のように素直に神の愛に甘えながら、神と共に生活していて良いと思います。これは、私が洗礼を受けて間もない小神学生の頃に小さき聖テレジアの自叙伝から学んだ生き方ですが、年老いても少しも変えておらず、このまま幼子の心で、最後まで神の御旨に従おうと努めつつ生きようと思っています。

  余談になりますが、今年一月の毎日新聞で、三月末頃にパンスターズ彗星が、十一月末頃にアイソン彗星が観測されるが、いずれもこれまでに来たことのない、一昨年と昨年に発見された彗星であり、特にアイソン彗星は史上最も明るい大彗星になる可能性が取りざたされている、という情報を知った時、私はすぐに、この二つの彗星が大災害の接近を予告する神からの使者ではないかと思いました。それは二十数年前頃に出現なされた聖母マリアからメッセージを受けた人たちの一部が、そのような星の出現を予告していたからです。果たして今年の春頃からは、世界各地でこれまでにない程頻繁に大災害が発生し、アメリカやオーストラリアでは幾度も大規模な森林火災が発生したり、その他竜巻や風水害、異常気象や熱中症、中国における空気の汚染などが数多く報じられています。IC機器に侵入する新しい犯罪や老人を狙った詐欺事件なども、相変わらず多発しているようです。信仰年の終り頃にアイソン彗星が出現した後には、人類世界を脅かす災害や犯罪は、もっと酷くなるのではないでしょうか。地球温暖化の影響も深刻になることでしょう。しかし恐れずに、幼子の心で神と共に生きる信仰にしっかりと掴まっていましょう。全能の神が私たちを助け導いて下さいます。そして弱い私たちの信仰心はますます深く神に根ざして成長するようになります。神は私たちの信仰心を苦しみによって逞しく成長させるために、災害や各種の苦難をお許しになるのだと思います。

  本日の第二朗読は、「私自身は既にいけにえとして献げられています。世を去る時が近づきました」という言葉で始まっていますが、最後に「私は獅子の口から救われました。主は私を全ての悪い業から助け出し、天にある御自分の国へ救い上げて下さいます」とある言葉から察しますと、使徒パウロのこの最後の手紙は、ネロ皇帝によってローマ市内にいたキリスト者たちが次々と投獄され鎖に繋がれた時に、その獄中で認められたのではないかと思われます。使徒パウロはこの手紙の2章に、「私はこの福音のために、犯罪者のように鎖に繋がれて苦しみを受けています。しかし、神の言葉は繋がれていません」と書いていますが、紀元64年のローマ放火の責任をキリスト者に転嫁したネロ皇帝による三年間に及ぶ迫害は、ローマ大火の時にローマ市内にいたキリスト者たちだけになされた迫害で、ローマ市外ではなされていません。

  それでその迫害の初期、ローマ司教であった使徒ペトロは、側近の信者たちからの強い勧めに促されて、一時的に市外に難を避け、迫害の終わるのを待とうとしたことがありました。しかし、城門を出てアッピア街道を二百メートル程進んだ所で、主キリストが十字架を背負ってローマ市に行くお姿の幻を見、Quo vadis Domine ?(主よ、どこに行かれるのですか)と尋ねたら、「お前が去るなら、私が行く」というお言葉を聞いて、ペトロはローマに戻り、後で殉教しました。しかし、その獄中の生活は長引き、鎖には繋がれていても訪問者とは自由に接触できましたので、ペトロもそこでネロ皇帝がギリシャを訪れる直前頃に、東方各地の諸教会に当ててその第一書簡を書いています。その書簡の4章や5章にも「火のような試練を」「キリストの名のために」受けるという言葉や、「悪魔が吼えたける獅子のように、誰かを探し回っている」など、ネロ皇帝の迫害と深く関係している表現が読まれます。ペトロの第一書簡は、パウロの書簡とは違って一つの教会、一つの信徒共同体向けに書かれたものではなく、その冒頭の挨拶にあるように、ポントス、ガラティア、カパドキア、アジア、ヒチニアなど、現代のトルコ半島全域の数多くの教会に宛てて書かれた書簡です。当時既にこれらの地方ではキリスト教に改宗する人が多くなり、彼らが神々の像が飾られた広場での異教徒たちとの住民集会などに出席しないので、これが社会問題になりつつある地域もあり、事によるとネロ皇帝がこれらの地方でのキリスト者迫害を命令するかも知れない、と迫害下のローマの信徒たちは恐れ、使徒ペトロが書簡を送ったのではないでしょうか。ギリシャのオリンピックを観覧して大歓迎を受けたネロ皇帝は、四頭馬車の競技に優勝させてもらって月桂冠を受けたからか、上機嫌でローマに戻り、危惧されていたキリスト者迫害などは起こりませんでした。


  ネロ皇帝は獄に繋いだ数百人のキリスト者をすぐに全員処刑するのではなく、自分の造ったヴァチカン競技場で遊びが行われる度毎に、その一部の人たちを高い柱の上に縛り付けて火をつけたり、ライオンの餌食にしたりして残酷な遊びの道具にしていました。使徒パウロが獅子の餌食にされなかったのは、ローマ市民権を持っていたからだと思われます。しかし、67年頃にローマ市外で斬首され、ペトロも同じ頃逆さ磔で殉教して、ネロの迫害は終わっています。現代世界には、もうそのような迫害は起こらないと思いますが、しかし、人類文明によって痛めつけられた大自然界からの大規模な恐ろしい反抗と復讐は、覚悟していなければならないかも知れません。人間の力ではそれに対抗できません。ひたすら幼子のようになって神の力に縋り、神によって救われるように努めましょう。