2013年3月17日日曜日

説教集C年:2010四旬節第5主日(三ケ日)



朗読聖書: . イザヤ 43: 16~21.  . フィリピ 3: 8~14. 
     Ⅲ. ヨハネ福音 8: 1~11.

    本日の第一朗読の中に読まれる、「見よ、私は新しいことを行う」「私はこの民を私のために造った。彼らは、私の栄誉を語らねばならない」という言葉は、大切だと思います。太祖アブラハムの時以来、神の声に従って歩むよう召された神の民は、その歴史的歩みや体験を通して、他の諸国民に神による力強い救いの業を示すと共に、神に感謝と讃美を献げつつ、諸国民をも真の神信仰と神による祝福へと、招き入れる道を準備する使命を、神から与えられていたのではないでしょうか。神は、ご自身の救いの業を証しするために造られたそのイスラエルの民の中で新しい救いの御業を為そうとしておられるのです。ですから今は、遠い「昔のことを思いめぐらさず」に、これから訪れる出来事や目前の現実の中に神の愛の働きを識別して、それを語り伝えるようにと、預言者イザヤを介してお勧めになったのだと思います。その同じ神は現代に生きる私たち神の子らにも、同様に呼びかけておられるのではないでしょうか。私たちも、ただ現代の世の流れのままに受動的に生活するのではなく、小さいながらも神の僕・神の婢として、目前の現実の中に積極的に神の招きの御声を聞き分けつつ、神の愛を世に証しするよう心掛けましょう。神は私たちをも使って、新しい救いの業を為そうとしておられるのですから。

    本日の第二朗読では、使徒パウロが「私はキリストの故に全てを失いましたが、それらを塵あくたと見做しています」と語っていますが、この言葉も大切だと思います。有名なラビ・ガマリエルの恐らく最も優秀で熱心な弟子であったと思われる彼は、主キリストの使徒に転向したためにユダヤ教の指導層から敵視され、ユダヤ人・ファリサイ派律法学者としてのその誇りの全てを失い、一部の過激なユダヤ人たちから命をつけ狙われる人生を営んでいます。しかし、彼はその全てのこの世的失敗と損失を、主キリストと一致して多くの人の救いのために神に献げ、喜んでその不安と苦しみに耐えていたと思います。本日の朗読個所で「私は、キリストとその復活の力とを知り、その苦しみにあずかってその死の姿にあやかりながら、何とかして死者の中からの復活に達したいのです」とも述べています。私たちもその模範に倣い、日々自分の受ける損失・生活の煩わしさ・病苦・誤解等々を、主キリストのお苦しみに合わせて、一人でも多くの人の救いのため喜んで耐え忍び、神にお献げするよう心掛けましょう。

    本日の福音に登場する律法学者たちやファリサイ派の人々が、姦通で捕えられた女を自分たちで裁こうとせずに、主の御前に連れて来て「こういう女は石で打ち殺せと、モーセは律法の中で命じています。あなたはどうお考えになりますか」と尋ねたのは、福音にもあるように、主を試して訴える口実を得るためであったと思います。以前にも部分的に話したかと思いますが、ローマ皇帝アウグストゥスが紀元14年に死ぬと、次の皇帝ティベリウスは極度に大きく多様化している皇帝政治に嫌気がさし、親衛隊長セヤーヌスに政治を委ねて、自分は10年余りナポリ郊外の静かな美しいカプリ島に引っ込み、悠々自適の生活を営みました。皇帝アウグストゥスの政策で当時のローマ帝国は平和と豊かさを満喫していましたので、それでも別に問題は生じませんでしたが、ただこのセヤーヌスはローマ人と価値観の全く違うユダヤ人が大嫌いで、紀元6年からユダヤを統治しているそれまでの総督の寛容な施政方針を改めさせ、紀元15年にValerius Gratusを、10年後の26年からはPontius Piratusをユダヤ総督に任命し、ユダヤ社会もユダヤ人もローマの考えに徹底的に従わせるため、わざと厳しい命令を発してユダヤ人の権限を大きく縮小させました。それで紀元5年から大祭司であったハンナスは、15年にその終身職から追放され、その五人の息子が次々と大祭司になりましたが、彼らも次々と追放され、遂に18年にハンナスの娘婿カイヤファスが大祭司に選ばれると、セヤーヌスが漸く何とか我慢してくれました。しかし、当時のユダヤ教では大祭司は終身職とされていましたから、表ではカイヤファスが、裏ではアンナスが大祭司という、大祭司が二人もいる異常事態になり、その間はローマ総督の裁判によるのでなければ、ユダヤ人の裁判で人を死刑にすることは禁止されていました。

    この状態は紀元30年以降にセヤーヌスが失脚し、ティベリウス皇帝が再びローマに戻るまで続きました。それで主キリストを死刑にするためにも、ユダヤ人たちは総督ピラトゥスに訴えなければならなかったのでした。しかし、主が30年の春に受難死を遂げ、ティベリウス皇帝がローマに戻ると、この状態は間もなく解消され、総督ピラトゥスはガリラヤのヘロデ王やユダヤ教の支配層とも仲良くするようになり、聖ステファノの殉教の時には、ユダヤ人の最高法院が死刑を宣告して処刑させることが出来ました。本日の福音にある事件は、セヤーヌスがまだ政治を担当していた時でしたので、ユダヤ人はいくらモーセの律法だからと言っても姦通女を石殺しにすると、ローマの規定に従わない者として総督に訴えられることになります。しかし、姦通の女を勝手に赦すなら、モーセの掟を破る者としてユダヤ人の最高法院に訴える口実を与え兼ねません。律法学者たちはこういう両天秤にかけて、主を訴える口実を得ようとしたのだと思います。しかし、主は彼らのその企みを、黙々と指で地面に字を書き時間を稼ぐことによって、巧みに回避なさいました。彼らがしっこく問い続けると、「あなた達の中で罪を犯したことのない者が、まずこの女に石を投げなさい」と答え、また身をかがめて字を書き続けられました。これはモーセの律法に反していません。その内に訴えようとしていた人たちは、一人また一人と皆立ち去ってしまいました。最後に主は、「私もあなたを罪に定めない」と言って、女を帰しました。こうして主を訴える口実を得ようとしていた人たちの試みは、完全に失敗してしまいました。私たちも神と人への愛と忍耐をもって、時間をかけ賢明に対処するなら、悪の勢力からのどんな誘いにも打ち勝つことができると信じます。主のこのような模範を、心に銘記して置きましょう。

2013年3月10日日曜日

説教集C年:2010四旬節第4主日(三ケ日)



朗読聖書:. ヨシュア 5: 9a, 10~12. . コリント後 5: 17~21. . ルカ福音 15: 1~3, 11~32. 

    本日の第一朗読は、神の民がヨルダン川を渡って、約束の地カナンに入った直後の過越祭頃の話です。エリコの町を神の奇跡的助けによって攻め落とす前に、民はまずその近くのギルガルという平野で過越祭を祝いました。マナはなくなったので、民はその土地の産物を食べ始めましたが、この時から過越祭に酵母を入れないいわゆる「種なしパン」を食べるようになった、と聖書にあります。主キリストが制定なされたミサ聖祭の前表と言ってよい、この過越しの食事により神からの力を得ると、民は心から一つ共同体となって結束し、堅固な城壁の町エリコを攻め落とすことができた、と考えることもできます。カナン征服の出発点となったこのギルガルの地は、その後も神の民の歴史に幾度も登場しています。イスラエル人の最初の国王サウルが初めてペリシテ軍との戦いに出陣する時も、まず全軍をギルガルに集め、祈りを捧げてから出発しています。その後の預言者時代にも、ギルガルの地は大切にされていますから、神の民はヨルダン川の西にあるこの小さな平野を、約束の国での神の民の歴史の原点、神よりの助けを受ける所と考えていたかも知れません。

    私たちの日々献げるミサ聖祭にも、主キリストにおいて神の大きな力が込められています。受難死を目前にした最後の晩餐の席上、主が極みまでの愛を込めてお定めになったこの祭式に主が実際に現存しておられることを、幼子のように素直な心で堅く信じましょう。その主と内的に一致する度合いに応じて、私たちも神からの大きな祝福と助けとを、私たち自身の上に、また周辺の社会や人類全体の上に、呼び降すことができます。本日の第二朗読に使徒パウロが説いているように、実際「キリストと結ばれる人は誰でも、新しく創造されたもの」になるのです。第二ヴァチカン公会議の教えによれば、一般の信徒も主キリストの普遍的祭司職に参与し、世の人々を神と和解させ、その罪の赦しと神の義とを得させる使命と力を身に帯びるようになっています。この使命を心に銘記しつつ、ミサ聖祭を捧げましょう。

    しかし、ミサ聖祭は主イエスの受難死に内的に深く一致して献げるのでなければ、、その祭式の実質的功力に参与することも神の大きな祝福を世に齎すこともできません。この祭式を献げる時には、私たちも主イエスと一致して自分の死を先取りし、自分の人生と日々の苦しみの全てを主のいけにえに合わせて神にお献げ致しましょう。その時初めて、私たちは内的に主の祭司職に参与するのであり、神の祝福を世に呼び降すことができるのです。これは、カトリック教会の伝統的教えであります。近年日本では、ミサ聖祭を人と人との外的交わりの場と考える人たちもいるそうですが、私はローマ郊外ネミ修道院で公会議典礼委員会の下働きをしていた時、「感謝の祭儀」という言葉を典礼に導入させたドイツ人のイエズス会典礼学者ユングマン神父と一緒に庭を散歩し、ミサ聖祭について話し合ったこともあり、ミサ聖祭を神への感謝の「いけにえ」と考えることについては、自信をもっています。

    本日の福音には、ギリシャ語のアポッリュ―ミという動詞が3回も登場しています。これは、本来あるべき所から離れて滅びへと転落して行くことを意味している動詞ですが、日本語の訳文では、「死にそうだ」だの、「いなくなっていた」などと言い替えてあります。同じルカ福音書15章の「見失った羊」と「なくした銀貨」の譬え話にもアポッリューミという動詞が5回使われており、そこでも「見失った」とか、「なくした」などと訳し替えてあります。しかし、ギリシャ語の原文では、もっと深い意味を持った動詞のようです。主はこれらの譬え話で、父なる神が、弱さから転落して行くものに対する特別な憐れみの配慮を、またその救いと立ち直りを切に望んでおられることを示す、微妙な意味合いの言葉なのではないでしょうか。

    2千年前のオリエント・地中海諸地方の社会は、多くの点で現代社会を先取りした雛形のような印象を与えます。アウグスト皇帝の政策で促進されたシルクロード貿易の隆盛で都市部の商工業者は急速に豊かになると、農村部の社会は貧困に苦しむようになり、貧富の格差は大きくなりました。すると、若者たちが仕事のある都市部に移る人口移動の流れが盛んになって、農村部の地域共同体の結束も伝統的価値観も通用しなくなり、各地から都市部に出た若者たちが自由気ままに生活し始めて、それまでの社会的伝統が拘束力を失って崩れ始め、特に心の教育が非常に難しくなっていたように思われます。これは数十年前から日本でも、また今の中国やインドなどでも、実際に見られる社会現象であると思います。同じ家に一緒に住んでいても、親子で価値観が大きく違っていたり、兄弟姉妹の間でもそれぞれ違っていたりすることは、2千年前のオリエント諸地方でも、珍しくない現象になりつつあったのではないでしょうか。それが、本日の福音の譬え話にも反映していると思います。

    それ以前の古い時代には考えられなかったことですが、譬え話の中の次男は、父親がまだ生きているのに、死んだら自分が貰うことになるであろう遺産を早く分けてくれるよう要求しています。全てを自分中心に理知的に考え、親も社会も意のままに利用しながら生活しようとする利己主義の塊のような人間は、現代社会にも少なくありませんが、自分の欲を統御する自制心の欠如が問題です。そのような人間をいくら言葉で説得しようとしても無駄です。言葉は、既に利己主義でいっぱいになっている人の心に入ることができず、その心が次々と生み出す理知的理屈を刺激し、反駁されるだけでしょうから。実際の現実の全体像に対して盲目になっているその心を目覚めさせるには、嫌という程の苦い失敗体験が必要なのではないでしょうか。そこで譬え話の中の父親は、次男の要求する財産を分けてやりました。彼はそれを間もなく金に換えて、遠国へと旅立ちました。しかし、欲を制御する力に欠けている人間が大金を持っていると、そこにはあの手この手と巧みに誘惑する者たちが、連日のように寄って来ます。こうして次男は財産を全て浪費し、その上にひどい飢饉も体験して、漸く心がこの世の本当の現実に目覚め、生きるために父の家に戻って、これからは父の雇い人の一人にして頂こうと思って帰って来ます。父親は、息子のこの目覚めの時を切に待ちわびていました。帰って来る次男の姿を見つけると、走りよって首を抱き、接吻しました。「お父さん」と呼びかけて、これからは全面的に父に従い、父に仕える心になっている息子は、父親にとって以前よりも遥かに愛すべきものに思われたことでしょう。聖書の教える改心とは、このように神の愛の懐に立ちかえり、神の心を心として神中心に生き始めること、全身全霊を尽くして神に仕えようとすることを意味していると思います。

    譬え話の後半に登場する長男も、心に問題を持っていました。外的には一度も父親に反抗せずに働いていますが、心の中は利己主義でいっぱいになっていたようです。ですから、日々父親の傍で一緒に生活していても、父親の価値観や温かい思いやりの精神を自分のものにできず、恐らく心を割って親しく話し合うこともせずに、ただ父親の死ぬのを待っているような日々を過ごしていたのではないでしょうか。譬え話の中では、弟のように「お父さん」と親しみを持って呼びかけてはいません。本日の福音では、「私は何年もお父さんに仕えています」と邦訳されていますが、原文では「あなたに仕えています」となっています。弟に対しても兄は冷淡に振る舞い、「弟」とは言わずに、「あなたのあの息子が」などと表現しています。父と一緒に住んでいても、心は父から遠く離れていた証拠でしょう。「私のものは全部お前のものだ」という父親の言葉から察すると、長男が願えば、父は友達と宴会を開くためにも喜んで支出してあげようとしていたのでしょうが、既に心を閉ざしていた長男は、父に頭を下げて願うことはしなかったのではないでしょうか。彼は、弟を罪人として見下げています。彼の理知的な心の中では、一度転んでしまった者は、後で改心しても認められない、いつまでも軽蔑されるべき罪人なのです。

    これが、当時の律法学者・ファリサイ派の考えでもあったのではないでしょうか。彼らの間では、一度徴税人あるいは罪の女となった者は、たとえ改心しても、いつまでもその罪の穢れを背負っている、軽蔑に値する存在に留まると考えられていたように思われます。しかし、父なる神は、冷たい掟中心に生活している九十九人のそのような冷たい義人よりも、温かい神の愛の御心に立ち返り、神の御旨中心に日々神と親しく生きようと改心した、一人の罪人の方をお喜びになる方なのです。長男がその後どのようになったかについて主は黙しておられますが、それは私たち各人に、それぞれ自分なりに一層深く考えさせるためであると思います。単に外的に日々ミサ聖祭に与かり、神の近くで祈っているというのではなく、内的にも神の御心を自分の心として、神と共に生きる温かい人間、神の愛の生きている道具になるよう努めましょう。

2013年3月3日日曜日

説教集C年:2010四旬節第3主日(三ケ日)



朗読聖書: . 出エジプト 3: 1~8a, 13~15.  Ⅱ. コリント前 10: 1~6, 10~12. 
. ルカ福音 13: 1~9.

    本日の第一朗読は、エジプトを逃れてミディアン人の祭司の許に身を寄せ、その羊の群れを飼っていたモーセが、神の山ホレブ、すなわちシナイ山の麓で神に召された場面を扱っています。神からエジプトにいるイスラエル人たちの所に派遣されることになったモーセは、もし彼らが先祖の神について「何という名の神か」と尋ねたら、「何と答えるべきでしょうか」と尋ねます。当時のエジプトにはたくさんの神々が崇められていて、神々は皆それぞれの名をもっており、相互に関連付けられていましたから、そういう世界観の中で生まれ育った人たちが、何という名の神から派遣されて来たのかと尋ねるのは、当然予想される質問だと思います。

    主なる神はそれに答えて、「私はある」という名を教えて下さいました。ヘブライ語では多分一人称単数のehyeh(エイエ)だと思いますが、これを三人称単数に言い換えると、ヤーウェになると聞いています。古代人は、名は単なる呼び名ではなく、そのものの本性を表現すると考えていましたので、神はこの名でご自身の本質を表現なさったのだと思われます。私たち人間は、「ある」とか「存在する」という言葉を、ただそこにあるだけで、動くことも成長することも働くこともしないものと考え勝ちですが、実は、聖トマス・アクィナスも強調しているように、存在は最も活発でダイナミックな働きなのです。この世の一切の事物現象は本来本質的に無なのですが、神の「存在」という働きによってその本性も存在も与えられて存在するようになり、その存在も働きも絶えず神に支えられているのです。神はその大元の「存在」を本質としておられる方で、霊界と物質界の一切のものを、時間も空間も、その他の諸々の枠組みも全て創造なされ、絶えず支えておられる永遠の存在であり、現在も過去も未来も全ては神の御手に支えられ生かされてあるのですから、その全能の神から召されて派遣されるモーセは、何者をも恐れる必要がないのです。「存在」そのものであられる神がモーセと共にいて、救いの御業の全てをなそうしておられるのだという意味で、神はその御名を名乗られたのだと思います。私たちも皆、その全能の「存在神」を信奉しているのです。感謝と喜びの内に、日々明るい希望と信頼の心で生活いたしましょう。

    本日の福音は、二つの部分から構成されています。前半では、エルサレムで実際に起こったと思われるローマ軍によるガリラヤ人殺害事件が伝えられたのをきっかけに、主がお語りになった教えが、後半には、三年間も実を結ばないイチジクについての譬え話が語られています。ガリラヤ人殺害の事件が起こったのは、過越祭の時であったと思われます。毎年の過越祭にはガリラヤからの巡礼者たちも上京してエルサレムの人口が3倍ほどになるので、通常は港町カイザリアに滞在している千人ほどのローマ軍の一部も、この祭りの時にはローマ総督と共にエルサレムに滞在し、暴動が発生しないよう警備に当たっていました。ガリラヤは度々反ローマ運動の拠点とされていましたから。そのガリラヤから上京した人々と首都警備のローマ軍との間で、何かの偶発的事件が発生して、一部のガリラヤ人たちが殺害されたのかも知れません。「ピラトがガリラヤ人たちの血を彼らのいけにえに混ぜた」という言葉は、文字通りに解釈する必要はありません。いけにえの動物たちが屠られた時刻と同じ頃に、ガリラヤ人たちが殺害されたことを強調する、文学的表現であるとも考えられるからです。

    主はこの知らせを聞いて、「そのガリラヤ人たちがそのような災難に遭ったのは、他のどのガリラヤ人よりも罪深い者だったからだと思うのか。決してそうではない」とおっしゃいました。それは、当時の律法学者・ファリサイ派たちが、勧善懲悪の合理的思想に基づいて、何か不慮の事件や災害などで犠牲者が出ると、その人には隠れた罪があったのではないか、などと考える思想を広めていたからだと思われます。現代でも時としてこのような推測を口にする人がいますが、主はこのようなこの世の不運や不幸を中心に版題する罪の概念や勧善懲悪思想をはっきりと退けられます。察するに主が考えておられる罪とは、神がこの世の不運や不幸によってその償いをお求めになる外的な掟違反や、先祖から受け継いだ心の穢れのようなものではなく、どの人間の心の奥にも根強くはびこって働いている、神に背を向け神を無視する自分中心主義の根性、暗い闇の力であり、いわば私たちの生来の人間性である「古いアダム」の心、人間中心主義の精神なのではないでしょうか。それは、洗礼を受けた私たちの心の奥にも実際に働いている罪の力であり、私たちが自分の受けた秘跡の恵みで、日々それに負けないよう戦うべき根強い現実的力であると思います。これ迄は一度も不運な事件や災害に出会うことなく生活し、今も仕合わせに生きているとしても、悔い改めてこの世に来られた神の御子の呼びかけと働きとを受け入れ、それに従って神の僕、神の婢として神中心に生きようとしないなら、遠からず皆不運によって滅びてしまうのだ、と主はこの時、恐らく真剣なお顔で人々に警告なされたのではないでしょうか。

    そして続いて話された後半の譬え話も、その差し迫っている不幸の警告と関係して、悔い改めを勧める話であったと思われます。ぶどう園の主人は、実を結ぶ年になっているイチジクの木が、なお3年も忍耐して待ったのに実をつけないのだから、「切り倒してしまえ」と命じます。それに対して園丁が、「ご主人様、今年もどうぞこのままにしておいて下さい。木の周りを掘って肥やしをやってみます。そうすれば、来年は実がなるかも知れません。もしそれでもだめなら、切り倒して下さい」と願っている所で話が終わっています。受難死を間近にしておられた主はこの話で、神の働きに結ばれ支えられて実を結ぶよう早く悔い改めなければ、切り倒されてしまう時はもう迫っているのだ、今はエルサレムにとって最後の憐れみの期間なのだ、と強く訴えておられるのではないでしょうか。四旬節に当たり、私たちも主の警告と悔い改めの勧めとを、私たちの時代に対してもなされている警告として真摯に受け止め、目に見えないながら今の私たちの所にも実際に現存し、神中心に生きるよう求めておられる主に日々もっと心の眼を向け、信仰生活の改善に努める決心を新たに主に捧げましょう。