2009年11月1日日曜日

説教集B年: 2006年11月5日、年間第31主日(三ケ日)

朗読聖書: Ⅰ. 申命記 6: 2~6.   Ⅱ. ヘブライ 7: 23~28.  
  Ⅲ. マルコ福音 12: 28b~34.


① 本日の第一朗読を読む度に、いつも懐かしく思い出すことがございます。それは26年前の1980年9月に、東京のユダヤ教のシナゴガで、土曜日午前の安息日祭儀を参観した時、2時間ほど続いたヘブライ語の聖書朗読や祈りなどの中ほどに、本日の第一朗読の箇所も登場し、壇上のラビが「シェーマ、イスラエル (聞け、イスラエル)」と、力強く歌ったその威厳に満ちた声であります。その声は神の声のように感じられ、今でも忘れることができません。ユダヤ教では2千年前のキリスト時代にも、またその後の時代にも、全身全霊をあげて神を愛することを命じている申命記のこの掟が特別に重んじられていますが、主なる神は、キリスト者である現代の私たちにも、この掟の順守を万事に超えて大切にするよう、求めておられるのではないでしょうか。
② といっても、目に見えない神を愛するなどという夢のような話は、あまりにも現実離れしていて、頭で考えることはできても、実際上はほとんど何もできないと思う人もいるかも知れません。それは、全宇宙の創造主であられる神を、この世の現実から遠く離れた天上の世界、目に見えないあの世の霊界におられると思うからではないでしょうか。しかし、現実には紙の裏表のように、この世はあの世と密接に関係していて、この世の存在は全て、あの世の神によって絶えず産み出され維持されなければ忽ち無に帰してしまうほど、無力なもの儚いものなのです。私たちの生活を支えているこの大地も空気も水も、全てその神から絶えず存在を支えられている賜物で、父なる神は、目には見えなくても、それらの無数の賜物を介して絶えず私たちのすぐ近くに現存し、私たちに慈しみの御眼を注いでおられるのです。その神に対して、嬉しい時も悲しい時も信仰と信頼の心で「天のお父様」と呼びかけ、感謝したり助けを願ったりする習慣を続けていますと、不思議に運命の神に守られて導かれているという体験をするようになります。これまであまりにも長い間神を忘れて無視するような生き方をして来たのですから、その悪い習慣は長期間の新しい信仰習慣によって克服しなければなりませんが、神のお声は聞けなくても、日に幾度も事ある毎に「天のお父様」と愛をもって呼びかけ感謝を表明していますと、やがて心の中に新しい神観念が育って来ます。そしてどんな苦しい状況にも、希望をもって耐え抜く力が備わって来ます。神は、私たちが皆このようにして生きる、神の子になることを求めておられるのではないでしょうか。
③ 本日の福音の中で、一人の律法学者から「あらゆる掟のうちで、どれが第一でしょうか」と尋ねられた主イエスは、「第一の掟はこれである」と、本日の第一朗読に引用されている申命記の掟をあげ、すぐに続いて、「第二の掟は、これである。『隣人を自分のように愛しなさい。』この二つに勝る掟は他にない」と答えておられます。神への愛の掟と隣人愛の掟とを合わせてお答えになったのは、モーセ五書の中に読まれるこの二つの古い掟が、互いに深く関連しているからだと思います。ただ今も申しましたように、万物の創造主であられる神は、そのお創りになった被造物を介して、特に神に似せて創られた人間、万物の霊長である人間を介して、いつも私たちのすぐ近くに臨在しておられるのです。自分の間近におられるその神に対する愛は、隣人を愛するという行為を介しても表明するように、というのが神のお望みなのではないでしょうか。レビ記19章に読まれる「隣人を自分のように愛せよ」という掟から、隣人を正しく愛するには、まず自分自身を正しく愛さなければならないと考え、あなたが自分自身を愛するように隣人を愛せよ、という意味に解釈する人もいますが、しかし、誰もが生来自然に持っている自己愛の熱心は比較の対象にされているだけで、この掟は隣人愛を命じているのであり、自己愛は命じられていないと解釈する人もいます。どちらの解釈でも良いと思いますが、そんな中にあって、あるプロテスタントの聖書学者が「隣人を自分自身として愛せよ」と邦訳しているのを知り、私の気に入りました。神に対する愛を、隣人を自分自身として親身になって愛することにより表明せよというのが、旧約の二つの掟を一つに結んで教えられた、主イエスのお考えであるように思われるからです。
④ ところで、第一朗読にもあるように、第一の掟の前には「私たちの神である主は、唯一の主である」という大切な言葉があって、主イエスもその通り引用しておられます。現実の人間社会には数多くの雑多な宗教思想が各地に広まっていて、聖書の教えもそれらの宗教思想の一つとして、頭で理知的に総合しながら神をたずね求めようとすると、混乱してしまいます。そうではなく、初代教会や古代教父たちがなしていたように、聖書を自分たちに対する神よりの啓示、神からの呼びかけとして心の意志で謙虚に受け止め、その神を自分の唯一の主となし、神に徹底的に聞き従う信仰と従順の心でまずしっかりと立つこと生きることが大切です。こうして全知全能の神の導きや働きの世界に、次第に深く入って行きますと、その神ご自身が、全宇宙の中で、また諸々の他宗教の中でも日々大きな働きをしておられることを、次々と教えて下さいます。私の経験したその一つの例を紹介致しましょう。
⑤ 1989年の秋に京都の東本願寺で三日間にわたって開催されたある研修会で、私は最後の合同討議の議長をさせられました。議長の役は、自分の見解はほとんど言わずに、ただできるだけ多くの参加者が自由に自分の見解を発言できるよう配慮することだと思いますので、私はひたすら聞くだけでしたが、その時名古屋の浄土宗西蓮寺の住職大田敬光師と大谷大学の武田武麿教授との間に、親鸞の教えをめぐってちょっとした議論が始まり、その折に武田教授が余談のようにして、キリスト教と浄土教との関係について日頃思っていることを披露しました。それは、現存する史料からは立証できないが、大乗仏教の中に浄土教が発生した歴史的状況を総合的に吟味してみると、そこにキリスト教の影響が大きく働いていたと考えられる、というようなものでした。浄土真宗の武田教授のこの言葉に、私はその後大いに啓発されました。私はその後も武田教授と親しくしていて、確か98年に東京で開かれた日本宗教学会の理事会の後であったと記憶していますが、二人で一緒に写真を撮ったのを最後に、武田教授はその翌年に亡くなりました。大乗仏教の発生についての武田教授の考えを私なりに推測しますと、次のように言ってよいかと思います。
⑥ 日本に伝来した大乗仏教は、厳しい修行に励む男の比丘教団と女の比丘尼教団を設立させた釈尊が入滅した後、二百年余りも経て、釈尊の遺骨を納めた各地のストゥーバ (仏舎利塔) を崇敬する在家の信徒団の信仰運動を基盤として、ゆっくりと数世紀かけて形成された仏教ですが、厳しい戒律の厳守に束縛されていない在家の信徒たちは、仏教の伝統的教えからは少し自由になって考え始め、自分も仏陀のようになりたいという憧れから、やがて各人には生来仏性があるという思想を生み出し、紀元1世紀か2世紀頃からは、シルクロードを介してキリスト教の思想も伝播していた西北インドの地方で、多くの庶民を救ってくれる阿弥陀仏に対する信仰も菩薩信仰も生み出しています。そしてそこからやがて阿弥陀仏に対する念仏も、西方に浄土があると考えて西方往生を願う思想も生まれ、また数々の大乗仏教経典も書かれるに至りました。
⑦ 仏教側からのこういう話を聞くと、なるほどと思うことも少なくありません。例えば、原始仏教の経典にははっきりと提示されていない地獄・極楽の話や死後の閻魔大王による審判の話、ならびに聖母マリア崇敬に似た観音信仰や、世の終りに来臨する弥勒菩薩に対する信仰なども、キリスト教信仰の影響を受けて発展したのではないでしょうか。同じ頃、オリエントのキリスト教にも仏教側からの影響と思われるものが幾つか導入されています。例えば、民間に語り継がれていたお釈迦様の伝記を、マタイ福音書からの引用文などを挿入しながらキリスト教的に作り替えた、聖バラアムと聖ヨザファトの伝記は4世紀頃に書かれたようで、中世期には西方教会でも愛読されていますが、16世紀末に邦訳されて、キリシタンたちにも読まれています。ユダヤ教の伝統を受け継いだ初代教会には、キリスト者も両手を左右に上げて祈っていたのに、古代教会に手を合わせて祈る習慣が広まったのも、東洋の宗教の影響だと思われます。
⑧ こう考えると、キリスト教と仏教との文化的交流を介して、もともと人生苦超克を主目的としていた仏教に、無数の民衆を救う一神教的来世信仰を導入させたのには、表向きの形はどうであれ、一人でも多くの人を神の国に導き入れようとしておられる、神の働きがあったのではないでしょうか。神秘な神のその働きを、人間理性でとやかく論ずることはせずに、心を大きく開いて、神の救いの御業に徹底的に従うよう心がけましょう。主イエスもルカ福音書13章の中で、「救われる人は少ないのでしょうか」という質問に、「人々が東から西から、北から南から来て、神の国で宴会の席につくであろう」と答えておられます。文化や宗教は違っても、その文化その宗教の中でも働いて下さる神の導きに従う人なら、皆神の国に導き入れられるのだと思います。この明るい信仰と希望を新たにしながら、異教徒や未信仰者たちの救いのためにも、このミサ聖祭の中で祈りましょう。