2012年10月28日日曜日

説教集B年:2009年間第30主日(三ケ日)

朗読聖書: . エレミヤ 31: 7~9.     . ヘブライ 5: 1~6.  
        . マルコ福音 10: 46~52.

   本日の第一朗読は、旧約の神の民の数々の罪を嘆き、警告を語ることの多かったエレミヤ預言者の言葉からの引用ですが、本日朗読されたこの預言書の31章は神との新しい契約について予告していて、エレミヤ書の中でも、将来に対する大きな希望を与えている最も喜ばしい箇所だと思います。

   紀元前10世紀に南北二つの王国に分裂した神の民のうち、北イスラエル王国は紀元前720年にアッシリア帝国に滅ぼされてしまい、そこに住んでいた住民はアッシリアの支配下に置かれたり、アッシリアに所属する他の国に連行されたりして、各地に分散させられてしまいました。アッシリア人によるこの征服と連行の過程で、命を失った者や信仰を失って異教徒になってしまった人たちは多かったと思われます。しかし、そのイスラエル人たちが皆信仰を失ってしまったのではないようです。外的にはもはや真の神を礼拝・讃美する宗教儀式に参列できなくても、それを自分たちが犯した罪の罰、神よりの試練と受け止め、個人的に悔い改めと罪の償いに励んでいた信徒たちが、少なからずいたのだと思われます。神は、それまでの自分たちの社会や生活が台無しに破壊されても、それを自分たちが犯した罪の罰と受け止めて、謙虚に神への新しい信仰生活に励むその人たちの悔い改めと信仰の熱心を、嘉しておられたのではないでしょうか。

   アッシリアの侵略から100年余りを経て神の言葉を受けたエレミヤは、本日の朗読箇所の中で信仰を失わずにいるその人たちのことを「イスラエルの残りの者たち」と呼び、その人たちを救ってくれるように祈ることを、神から命じられています。そして神は、「見よ、私は彼らを北の国から連れ戻し、地の果てから呼び集める」という、嬉しい約束の言葉も話しておられます。「北の国」とあるのは、アッシリアの支配下にある国々だと思います。神は更に、「私はイスラエルの父となり、エフライムは私の長子となる」とも話しておられますが、ここで「エフライム」とあるのは、エジプトで宰相となったヨゼフの息子の名前で、その子孫である北王国の中心的部族の名でもあり、総じてアッシリアに連行されたイスラエル人たちを指していると思います。彼らが新たに神の子らとされて、メシアによる救いの恵みに浴することを、神が予告しておられるのではないでしょうか。アッシリアの侵略によってイスラエル12部族のうち10部族は滅び去り、残ったのは南のユダ王国に住むユダ族とレビ族だけであった、と考えてはなりません。北イスラエルの10部族のうちの「残りの者たち」は、エレミヤ預言者の時代にユダ王国に移住して、イスラエル12部族の子孫たちは、数は少なくなっても立派にメシア時代を迎えるに到ったと信じられています。

   ここで「イスラエルの残りの者たち」とある言葉を、現代の私たちの信仰生活に関連させて少し考えてみましょう。私たちは今はまだこれまで通り平穏にまた幸せに暮らしていますが、しかし、この状態がいつまで続くかは誰も予測できません。既に地球温暖化によって世界各地の自然環境は元に戻し得ない程に大きく悪化しつつあるようですし、この温暖化現象には私たち現代人たちの生活が深く関与しているそうです。人類の人口の急激な増加で、遠からず水不足や食料不足の問題も深刻化するかも知れません。比較的豊かに自然の恩恵に浴している私たち日本人は、まだそれらの問題を深刻に受け止めていませんが、これからの全地球化時代には、地球上の他の多くの地方で発生した深刻な災害や窮乏問題が、直ちに私たちの食糧や生活を苦しめることも起こり得ると思います。今の日本は自給自足ではなく、食料の大半を外国からの輸入に依存しているのですから。

   それに、もう数十年も前から大規模な東海地震や南海地震の発生が遠くないと予測され、警告されています。もしこの二つの大地震が同時に、あるいは相次いで発生したなら、単に数多くの住宅が崩壊して無数の死傷者が出るだけではなく、その後の日本経済も破綻の危機に曝されると思います。それで耐震工事の完備しているこの建物が倒壊しなくても、電気や水や食料の不足のため、生き残った人たちは途端に恐ろしい程の窮乏生活を余儀なくされるかも知れません。もし諸外国でもその前後に大規模な災害が発生していたなら、外国からの援助もあまり期待できないと思われます。これからの時代には、そういう想定外の悲惨な大災害や極度のもの不足も発生し得ると思います。既に地球全体の環境も、これまでとは大きく違って来ているようですから。神を無視する現代人たちが、人間中心主義の不遜な心で日々犯している罪の数も、これまでのどの時代よりも大きくなっているのではないでしょうか。以前には盛大に挙行されていた欧米の教会でのミサ聖祭も、最近は司祭不足・参加者不足で寂れている所が多いと聞きます。人々が万物の創り主であられる神への感謝を怠り、目前の豊かさだけを追い求めている今こそ、「目覚めて用意していなさい。人の子は思いがけない時に来る」という主の警告を、心に銘記して信仰に励むべき時なのではないでしょうか。

   神の特別な愛の被造物であるこの美しい水の惑星「地球」を穢して止まない利己的人間中心の怠りの罪や貪欲の罪に対して、神はこれまでは黙して眺めておられても、この終末的時代には恐ろしい天罰を次々と下して、被造物世界のすべてを全く新たにしようとなさるかも知れません。その時には先程の「イスラエルの残りの者たち」のように、たとえ共同体的ミサ聖祭に与かれなくなっても個人的に日々悔い改めの業に励み、主キリストの聖心と一致して人類の罪の償いに心がけましょう。神は謙虚に信仰と愛に生きるそのような「残りの者たち」の生き方に特別に御眼を留め、その祈りと必要に応えて新しい救いの道を示し、必要な力も助けも与えて下さると信じます。……..