2011年4月23日土曜日

説教集A年:2008年3月22日聖土曜日(三ケ日) 

第1朗読 イザヤ書 52章13節~53章12節
第2朗読 ヘブライ人への手紙 4章14~16節、5章7~9節
福音朗読 ヨハネによる福音書 18章1節~19章42節

① 今宵の復活徹夜祭の第一部は「光の祭儀」と言って、輝かしく復活したキリストの光を讃美し、感謝の心でその光に照らされ導かれて生きる恵みを願う儀式でした。そこでは復活の蝋燭に点された火が、中心的役割を演じていました。それに続く第二部は「言葉の典礼」と言って、正式には旧約聖書から七つの朗読箇所が奉読されて、それぞれそれに伴う答唱詩篇が歌われたり、祈願がなされたりする儀式ですが、あまり長過ぎないよう、ここではそのうち四つだけ選んで致しました。この第二部の典礼の一つの特徴は、水、すなわち洗礼の水に対する讃美と称してもよいと思います。今宵はこのすぐ後の第三部に洗礼式が挙行され、その後で第四部の「感謝の祭儀」が行われますので、洗礼の水について少しだけご一緒に考えてみましょう。

② 水は、新しい命の生まれる基盤であり、また絶えずその命を養い育てるものでもあります。40数億年前に生まれたこの地球上に、最初の小さな単細胞の命が発生したのは、水の中と考えられています。5億数千年前にカンブリア紀が始まると、その命は様々な生き物に発展し始めますが、まだ水の中を動き回っていました。そして次のシルル紀に、一部の生き物が植物の増え始めた陸地に上陸し、その後、動植物は目覚ましく発展し始めました。しかし、動植物の細胞は水なしには生きられませんので、水は命の源と言ってもよいと思います。私たち各人の命も、母のお腹の羊水の中で生まれ、誕生してからも体の大半は水で構成されていると聞きます。水は、全ての細胞に含まれているからでもあると思います。私たちの体は水に生かされており、水なしには死んでしまう存在なのです。

③ ところで、聖書によりますと、神は私たちにもう一つ、永遠に死ぬことのない命を約束しておられます。それは、神の御子キリストがあの世から持参なされた超自然の神の命であります。主キリストは、その命のことも「水」あるいは「生ける水」と表現しておられます。ヨハネ福音書によりますと、主はその水についてサマリアの女に、「私が与える水を飲む人は、永遠に渇くことがない。私の与える水は、その人の中に湧き出て、永遠の命に至る水の泉となるであろう」と話しておられます。主がお定めになった洗礼の秘跡は、その命の水を私たちの心の奥底に与え、私たちの霊魂が神の命によって奥底から生かされ、死後も内的に主キリストのお体の細胞のようになって、神と共に永遠に幸福に生きるようにしてくれるお恵みであります。

④ しかし、不純なものを焼き尽くして銀や金などを純粋なものにする火のように、水にも汚れたものを洗い流して、事物を清いものにするという働きがあります。洗礼の秘跡によって心の奥底に与えられた神の命の水にも、そのような働きがあります。私たちが日々の祈りと、神の御旨に対する従順や委託などによってその働きに協力しますと、心が次第に利己心や全ての欲情から清められて、一切の不安から解放された安らぎを覚えるようになります。

⑤ 聖なる神はあらゆる穢れを厳しく排除なさる方ですから、利己的な穢れから完全に清められない限り、天国の永遠の幸福には入れていただけないと思われますが、この世に生きている間に心が完全に清くならなくても、心配いりません。古代教会の教父たちやその後の聖人たちの教えによりますと、死後にも「清めの火」によって霊魂を清めていただくことができるようですから。とにかく洗礼の秘跡によって心の奥底に与えられた神の命の水を大切にしながら、大きな明るい希望と喜びのうちに、神への忠実に励むよう心がけましょう。