2014年4月19日土曜日

説教集A2011年:2011年聖土曜日(三ケ日) 



第1朗読 出エジプト記 14章15節~15章1a節
第2朗読 ローマの信徒への手紙 6章3~11節
福音朗読 マタイによる福音書 28章1~10節



  今宵の復活徹夜祭の第一部は「光の祭儀」と言って、輝かしく復活したキリストの光を讃美し、感謝の心でその光に照らされ導かれて生きる恵みを願う儀式であります。そこでは復活の蝋燭に点された火が、中心的役割を演じています。それに続く第二部は「言葉の典礼」と言って、正式には旧約聖書から七つの朗読箇所が奉読されて、それぞれそれに伴う答唱詩篇が歌われたり、祈願がなされたりする儀式ですが、あまり長過ぎないよう、ここでは毎年その中から四つだけを選んで致しております。この第二部の典礼の一つの特徴は、水、すなわち洗礼の水に対する讃美と称してもよいと思います。それは多くの教会堂で今宵この「言葉の典礼」のすぐ後で第三部の「洗礼式」が挙行され、その後で第四部の「感謝の祭儀」が行われるからです。
  ここでは、第一部「光の祭儀」の時に、私たち各人が手に持つ小さな蝋燭に点してもらって讃美し感謝した、復活の主キリストの光についてだけ、少し考えてみましょう。火を点火するのに便利なマッチは、産業革命時代になってから英国で発明されたものですが、キリスト時代にはまだマッチはありませんでした。それで時間をかけて火を起こすこともできましたが、通常は寺院やどこかで、オリーブ油を使って絶えず点し続けている小さな火種からもらって、蝋燭に点火することが多かったようです。先ほど私たちが手にした蝋燭の火も、祈りを唱えて祝別された、キリストの復活蝋燭に点された火から頂いた火で、それは神の力によって死ぬことのないあの世の命に復活し、その命の光を私たち各人の心に点そうとしておられる、主キリストに対する信仰と愛を象徴的に示している火であります。豊かで便利な現代社会には、極度に発達した科学技術文明の普及によって各人の生活の個人主義化や価値観の多様化が助長され、伝統的家族共同体も、職場や地域社会の共同体も絆が弱まって崩れかかっており、日々相互に話し合うことも少ないせいか、孤独・孤立に苦しむ人が激増していると聞きます。問題の多いこういう社会に生きる私たちは、復活なされた主キリストの信仰と愛の火を心に堅持しながら生きる模範を世に証しするよう、神から召されていると思います。今宵洗礼を受ける人たちと心を合わせて、私たちも自分中心のこの世的生き方に死んで、主キリストのあの世的命に生かされて生きようとする、洗礼の約束を新たに表明し、神の御旨に従う決意を神にお献げ致しましょう。
  今年311日の大震災と原発の事故で停電が続いた東日本の諸地方で生活していた人々は、電灯と蝋燭の光の違いを嫌という程痛感させられたと思います。昭和30年代に各種の電化製品が続々と一般家庭に普及し始めた時、人々は電気の便利さ有難さに驚き喜んだものでした。蛍光灯や各種のラジオ、カセット、トースターに電熱器、扇風機に炊飯器、洗濯機・冷蔵庫・掃除機等々、家庭生活を楽しく便利にするものが次々と導入され、日本国民の殆どが、社会の中流階級に昇格したような気分になったものでした。しかしこの度の震災による停電で、被災地ではそれらの全てが突然に機能しなくなり、日頃マッチや蝋燭などを身近に備えていなかった人たちは、途端に夜の冷たい暗闇に突き落とされたような気分になったことでしょう。電気は真に便利なものですが、それのみに頼っていますと、自然災害によりその電源が機能しなくなった時には、大きな不幸に見舞われることになります。現代文明の機器を利用しながらも、昔からの伝統的文明文化も保持しつつ、神目指して自由に幅広く生きること。それが、現代世界の中で仕合わせに生きる生き方だと思います。古来の伝統的文化の中でも、主キリストの信仰と愛の灯は特に大切であり、各種共同体が崩壊しつつある現代には、私たちの心に、あの世的信仰共同体の中での一層深い生き甲斐を見出させ、大きな希望をもって生きる力を与えるものだと思います。それを悩める今の世の人々に証ししながら、主と共に明るく生き抜きましょう。洗礼を受けた時の誓いを神に表明しながら。