2014年8月3日日曜日

説教集A2011年:第18主日(三ケ日)



第1朗読 イザヤ書 55章1~3節
第2朗読 ローマの信徒への手紙 8章35、37~39節
福音朗読 マタイによる福音書 14章13~21節

   本日の第一朗読は、バビロン捕囚からの解放を告げた第二イザヤ預言者の最終の章からの引用であります。「渇きを覚えている者は皆、水のところに来るがよい。銀を持たない者も来るがよい」という呼びかけで始まる神の御言葉は、神を信ずる民を全ての飢え渇きから解放し、神の保護下にある新たな国で自由にまた豊かに生活できるようにしてあげようとする、神の大きな愛を示しています。しかし、「耳を傾けて聞き、私の許に来るがよい。聞き従って、魂に命を得よ」というお言葉は、心を何よりも神の御言葉、神の御導きに徹底的に従う方に向けることを求めています。そうすれば神は、民が数々の忘恩と裏切りの罪によって破棄した神との契約を再び締結し、民の犯した罪も赦して洗い流して下さることを約束しておられるのです。

   本日の第二朗読は、使徒パウロが改心後に体験した数々の困苦・迫害・危険と、神の導き・助けによるそれらの克服体験とに基づいて語った確信であります。「私たちは、私たちを愛して下さる方によって輝かしい勝利を収めています」という勝利宣言や、「死も命も天使も、他のどんな被造物も」「神の愛から私たちを引き離すことはできないのです」という言葉には、涙ぐましい程の力と喜びが籠っているように覚えます。私たちもその模範に倣い、これからの将来にどんな苦難・病苦・災害などに出遭おうとも、神の愛と助けを堅く信じつつ、勇気をもってそれらに対処するよう心がけましょう。本日の福音は、主が洗礼者ヨハネが殺された知らせを受けた後、察するにやがてご自身も先駆者ヨハネと同様に、この世の支配者たちから殺される運命にあることを思いつつ、まずは弟子たちと共に人里から遠く離れた所に退かれましたが、数千人の大群衆が主を慕って集まって来たので、彼らの求めに応じて終日病人を癒したりなさったりした後、夕暮れになってパン五つと魚二匹から食べ物を増やし、全ての人を満腹させたという、神のみが為すことのできる奇跡をなさった話であります。神は今でも、そのような奇跡をなさることに吝かでない程、私たちを愛しておられる方であると信じます。

   神のこの深い愛に心の眼を向けながら、本日は東日本大震災後に一部の日本人の心に密かに忍び寄っている不信や絶望の危険について、少し考えてみましょう。その大地震と津波で荒廃した風土と多くの屍を目前にした写真家の藤原新也氏は、雑誌『アエラ』の特別号で、「全土消滅・昭和消滅・神様消滅、云々」の題で、「このたび神は人を殺した」の言葉で始まる、水責めの地獄のような恐ろしい破壊の惨状を描いた後に、「人間の歴史の中で築かれた神の存在をいま疑う」「神はただのハリボテであり、もともとそこに神という存在そのものがなかっただけの話なのだ」などと書いています。そして「神幻想から自立し、自らの二本の足で立とうとする者ほど強いものはない。日本と日本人はいま、そのような旅立ちをせんとしている」と結んでいますが、しかし、人間がいかに小さく弱い存在であるかを知る者にとり、このような強がりを口にする人の内には、恐ろしく孤独な心が潜んでおり、その心は神不信だけではなく、やがて人間不信・社会不信・万物不信の絶望的状態へと落ち込んで行くのではないか、と恐れます。一週間余り前にノルウェーで爆破と乱射で約80人を殺害した32歳のブレイビク氏は、まだ自分の強がりの主張に留まっていると思いますが、同様に恐ろしく孤独な心境に堕ち込んで行くことでしょう。四日ほど前にNHKラジオで、殺人犯の心を描く時に流した、「氷の微笑」と題するアメリカの映画音楽を聴いていて、そんなことを考えていました。現代人の心の奥にも、そのような側面が潜んでいると思います。

   と申しますのは、技術文明・物質文明が高度に発達して、各人が家族や地域社会の絆や束縛から解放されて、極度の自由主義・個人主義の中に生活していますと、本来三位一体の共同体的神に似せて、共同体的無料奉仕の愛に生きるよう創られている人間の心は、無料奉仕の愛に生きるよりは全てを自分中心に考え利用しようとする、冷たい理知的精神で生きるようになり、愛の神からますます遠くに離れ、孤独に生きるようになります。共同体精神や愛の神から離れて孤独に悩むそのような人間の心に近づいて、その心を絶望へと巧みに導くのが悪魔たちの得意とする技術だと思います。悪魔は嘘ばかり告げると思ってはなりません。多くの真実や現実を人間に教えてくれます。そして自由に豊かに生きれるように見えるこの世の人生に、各人の自由を束縛するもの苦しめるものがどれ程たくさんあるかを分らせ、最後には神も、各個人を束縛する残酷な支配者であるかのように思わせる、懐疑と孤独と絶望へとその心を陥れようと努めて止みません。古来の家族的社会的な各種共同体が内面から瓦解しつつある現代文明社会は、そのような悪霊たちに格好の働き場を提供していると思います。気を付けましょう。

   実は、イタリアでは1990年代からエクソシストと言われる司祭たちが、精神医と密接に協力しながら悪魔つきと思われるような患者の治療・更生に携わることが多くなり、長年イタリア各地に滞在して度々日本の雑誌に寄稿している美術家島村菜津さんが、19996月に『エクソシストとの対話』という本を小学館から出版しています。私は同年7月に知人からこの本を贈られ、早速現代の悪魔つきと思われる人たちの治療や更生について、関心ある人たちにそのことを知らせています。しかし、21世紀に入るとイタリア各地でそのような事例が数多く報告されるようになったので、対応を迫られた教皇庁は急遽、そういうエクソシストを養成する講座を教皇庁立の機関として設立し、エクソシストを大勢養成しています。イタリアだけではなく、現代には世界的に悪霊の働きが活発になりつつあるのではないでしょうか。主キリストがこの世にお出でになった古代末期のオリエントにも、新約聖書の記事から知られるように悪霊たちの働きが盛んであったようですが、自由主義・個人主義が普及して豊かにまた便利に暮らしている人の多い現代世界にも、悪霊たちがこれから増々活発に活躍するのではないでしょうか。恐れることはありません。主キリストと内的に深く一致していましょう。現代の無数の人々のためその恵みを祈り求めて、本日のミサ聖祭を献げたいと思います。