2009年3月8日日曜日

説教集B年: 2006年3月12日、年四旬節第2主日 (三ケ日)

朗読聖書: Ⅰ. 創世記 22: 1~9, 9a, 10~13, 15~18.
Ⅱ. ローマ 8: 31b~34.    Ⅲ. マルコ福音 9: 2~10.

① 本日の第一朗読には、アブラハムが自分の一番大切な息子イサクを、神のご命令により焼き尽くす幡祭のいけにえとして捧げようとする話が語られています。神の言われた「モリヤの地」がどこであるか、神の命じた山がどこにあるのかは、全く不明です。しかし、アブラハムがご命令を受けた日に薪を割るなどの準備をして、息子と二人の若い下僕を連れて出かけ、翌日は一日中歩き、三日目に目指すモリヤの山を遠くに見ていることから察すると、当時アブラハムの住んでいたベエルシェバの地から80キロほど離れている所と考えてよいと思います。ちょうどそれぐらい離れている所には、後にエルサレム神殿が建立されたシオンの山があります。「モリヤの地」は、このエルサレム辺りを指していると考えられます。アブラハムがいけにえを献げるために息子イサクと一緒に登ったのは、シオンの山だったのではないでしょうか。もしそうでないとしたら、私は勝手ながら、後世のエルサレムの都の郊外にあったゴルゴタの山だったのではないか、などと想像しています。イサクのいけにえは、それから2千年近くも経ってから、この山で捧げられた救い主のいけにえの前表でしたから。
② 神から突然このようなご命令を受けた時の、アブラハムの驚きと心痛は深刻であったと思われます。数十年も前からの神のお約束に明らかに矛盾するご命令ですし、自分の長年の信頼も希望も全て台無しにし、自分自身の人生までも否定してしまうと思われる程の恐ろしいご命令なのですから。人間の理性ではいくら考えても、神からのこの不合理なご命令を理解することはできません。しかしアブラハムは、神からの新たなご命令に異を唱えるようなことはせず、いわば解決の下駄を神に預けて、極度に苦しみつつもひたすら黙々と神に対する従順に努めていたと思います。こうして苦悩のうちに夜を明かし、息子イサクと二人の下僕たちを連れてその山へと歩いているうちに、アブラハムの心の中には、次第に新しい確信が生まれ育って来たのではないでしょうか。すでに長年体験して来たように、神は自分たちを愛して下さっているのですし全能なのですから、たとえイサクを幡祭のいけにえとなして捧げても、神はきっと復活させて下さるに違いないという信仰であります。
③ 本日の朗読には省かれていますが、アブラハムは目指す山の麓で下僕たちに、「お前たちは、ロバと一緒にここで待っていなさい。私と息子はあそこへ行って礼拝をしてから、また戻って来るから」と、この「戻って来る」という言葉を複数形の動詞で話しています。アブラハムは遅くともこの時には、神がイサクをすぐにでも復活させて下さると、堅く信じていたのではないでしょうか。彼のこの信仰に応えて、神はご自身の意図しておられる人類救済の道を啓示なさいました。それは、人間が自分の力で捧げるいけにえによってではなく、人間のその信仰とその捧げとを御覧になった上で、神がお与えになった代償のいけにえによって、神は救いの恵みを豊かにお与え下さるという道であります。十字架上の主キリストのいけにえも、神が人類にお与え下さった代償のいけにえであります。しかし、その豊かな恵みに浴するには、どんなに小さなものであっても、人間側からの真心のこもった祈りや苦しみや善業などの捧げが必要だと思います。それは、本質的にそれらの代償として神がお供え下さったいけにえなのですから。ミサのいけにえも同様だと思います。教会は第一奉献文の中で、聖変化の後に「あなたの与えられた賜物のうちから、清く尊く汚れのないいけにえをあなたに捧げます」と神に祈っていますし、ミサの奉納の時にも、いつも「ここに供えるパンはあなたから戴いたもの」などと祈っていますから。
④ 私たちも実生活の中で、神からの理解し難い要求に出会うことがあるかも知れません。その時、自分にその要求を齎した人間よりもまず神に眼を向け、自分に対する神の愛と誠実さを信じつつ、ひたすら神への従順に努めましょう。時として、それは耐え難い程の苦難になるかも知れませんが、しかし、神への信頼に忍耐強く留まり続けていますと、やがて救い主の復活の力が心の奥に働いて、私たちを内的に強め救ってくれます。苦しみが大きければ大きい程、救われた時の恵みも喜びも大きいのです。この希望と神の愛に対する信頼を心に堅持しながら、祈りつつ全てを耐え抜きましょう。
⑤ 本日の第二朗読の中で、使徒パウロは神に対する不退転の大きな信頼心を表明していますが、私たちも特に何かの困難・試練に直面した時には、このような信頼心を心に呼び起こすよう努めましょう。神は実際に私たちの味方であり、その御独り子を死に渡すことも厭わない程に私たちを愛しておられる方なのですから。私たちに困難・試練が来るのも、奥底の心を一層はっきりと目覚めさせて、神にしっかりと結ばれるように導くための、神のお計らいであると信じていましょう。そうすれば、神によって義とされた太祖アブラハムの試練の時のように、全ては大きな恵みに変わる時が来ます。復活の主キリストも、私たちのために神に取り成して下さいます。
⑥ 本日の福音では、主はペトロ、ヤコブ、ヨハネの三人だけを連れて高い山にお登りになりました。会堂長ヤイロの娘を蘇らせた時も、受難の前夜のゲッセマネでも同様でした。ご自身の奥深くに隠れている神の働きや、ご自身の心底の深いお苦しみなどを露わにして、彼ら三人に証言させるためであったと思われます。本日朗読された日本語の訳文では「イエスの姿が彼らの目の前で変わり」となっていますが、原文では「彼らの目の前で姿を変えられた」となっていて、このご変容の場面では主イエスは主体になっていません。神が主体となって、弟子たちに救い主の隠れているご正体を見せて下さるのです。天に取り上げられたと信じられていたエリヤがモーセと一緒に出現し、主イエスと語り合ったのも、人間イエスが天に属する存在であり、おそらく時々深い祈りの中であの世の存在と語り合っていたことを示しているのではないでしょうか。
⑦ しかし、この出来事の少し前に、ご受難を予告なされた主をいさめ、「サタン、退け」と叱責されたペトロは、主のご変容を目撃してもまだ主のご受難を信ずることができず、天の栄光を長く地上に繋ぎ止めて置こうと思ったのか、「仮小屋 (テント) を三つ建てましょう」などと主に申し上げています。神は彼ら弟子たちに、間もなく恐ろしい受難死を遂げる救い主の中には、こういう来世的栄光のお姿が隠されていて、それが救い主の死後に輝き出ることを教え、彼らが主の受難死を目撃しても、なるべく躓かないよう配慮なさったのだと思いますが、メシアは死ぬことがない、必ず勝つというこの世的メシア観・先入観に囚われていた彼らの心は、まだまだ主の受難死を素直に受け入れる状態になっていなかったようです。私たちも、この世の好ましい人間関係やこの世の組織中心の先入観に警戒し、神がそれら全てを犠牲にすることもあることを覚悟して、何よりも「神の御旨」中心のアブラハム的信仰に生きるよう心がけましょう。
⑧ 一週間ほど前のミサの初めにも申しましたように、明治後半から昭和初めにかけての昔の信者たちや、キリシタン時代の信者たちは、四旬節の断食、すなわち日曜・祝日を除いて、毎日の昼食は普通に食べても朝晩はごく少ししか食べないという断食をかなり厳しく続けており、私がその人の息子野口和人さんから間接に聞いたところでは、八王子の野口さんという信者の町医者は、四旬節には医者の仕事も時々身にこたえるので、日曜日には夜にもたくさん食べて置くのだと話していたそうです。第二次世界大戦後には、旧約の預言書などの言葉にも従ってこの厳しい断食規定が次々と緩和され、その代わりに何かの善業や別の小さな苦しみを心を込めて神にお捧げするよう勧められていますが、断食規定が灰の水曜日と聖金曜日だけの二日だけになった今では、ただ規則の緩和だけに眼を向けて、ほとんど何もせずに四旬節を過ごしている人の多いのは、残念だと思います。もっと神に、また主キリストに眼を向けて、「代償のいけにえ」であられる主によって恵みを受けるには、小さくても結構ですから、アブラハムのように神に何らかの苦しい捧げものをしなければならないということを、心に銘記していましょう。お互いに歳が進んでいますので大きなことはできませんが、この四旬節中には日ごろ後回しにしている何かの仕事や整理、あるいは何かの悪い癖や口癖などの矯正、その他祈りによる人助けなどの実行に心がけましょう。その決心を神に表明しつつ、本日のミサ聖祭を献げましょう。