2009年3月25日水曜日

説教集B年: 2006年3月25日、神のお告げの祭日 (三ケ日)

朗読聖書: Ⅰ. イザヤ 7: 10~14; 8: 10c. Ⅱ. ヘブライ 10: 4~10.
   Ⅲ. ルカ福音 1: 26~38.

① 本日のこの祝日は、昔は聖母の祝日とされていましたが、40年ほど前の典礼改革の時から、この世に受肉なされた神の御ことば、主キリストの祝祭日として祝われるようになりました。聖母マリアが大天使ガブリエルを介して神のお告げを受け、それに承諾なされたことも同時に記念致しますが、神の御ことばのこの世への来臨に重点を置いて祝う祝日ですので、ひと言その神の御ことばについて話をさせて戴きます。
② 神の御言葉の受肉と聞きますと、多くの信徒は、私たち人間に救いの恵みを提供するため人類社会の一員になって下さったのだと、原罪の結果多くの悩みや苦しみを抱えて呻吟している人類社会の観点から、その受肉の出来事を受け止め勝ちだと思います。それで結構なのですが、しかし、ローマ書8章にある「被造物は全て今日に至るまで、共にうめき、共に産みの苦しみを味わっています」という言葉や、「被造物もいつか滅びへの隷属から解放されて、神の子らの栄光に輝く自由にあずかれるからです」などの言葉を読むと、天の御父はもっと遥かに大きな規模でこの出来事を観ておられるように思います。すなわち単に人類の救いだけではなく、全被造物の救いと栄光化のために、その御独り子を人間としてお遣わしになったのではないでしょうか。
③ もちろん、神に特別に似せて創られた人間は万物の霊長として、いわば天と地、神と全被造物との接点にあって立つ存在なので、神もまずはその人間の救済を念頭に置いておられて、救われる人類が御独り子を頭とする一つ共同体になることを望んでおられるでしょうが、しかし、この人類の救済と栄光化を介して、お創りになった全被造物の救済と栄光化も意図しておられると思います。神の御ことばは、単に人類社会に受肉し、天の御父から人類を受け取られただけではなく、被造物世界全体にも受肉し、全ての被造物をもお受け取りになったのだと思います。そして今も、この世の終末に万物が栄光化される日までは、創られた全ての存在を両手でしっかりと支え、黙々と浄化しつつあるのだと信じます。
④ 「作品は作者を表す」という言葉がありますが、生命の本源であられる神によって創られた被造物は、地球も太陽もその他の宇宙万物も、皆それぞれに次々と産まれては老化する、ある意味で生きている存在だと私は考えます。聖書によると、神はその御ことばを発しながら宇宙万物をお創りになったのですから、それら生きとし生けるもの全ての創り主であられる神の御ことばが人間となってこの世に来られたのは、人類ばかりでなく万物をこの苦しみの世から救い出し、万物の王として永遠に支配するためであると信じます。その宇宙万物の王であられる神の御ことばが、私たちの信仰によると、今ミサ聖祭を献げるこの祭壇に現存して下さるのです。その意味では今私たちの目前にあるこの小さな祭壇は、この世とあの世との接点であり、畏れ多くも宇宙万物の王であられる方が、全宇宙の救済と聖化のために働かれる拠点と申してもよいと思います。神のお告げを感謝のうちに記念して献げるこのミサ聖祭を、スケールの大きなこういう宇宙的信仰を新たにしながら、お献げ致しましょう。全ての生きとし生けるものの救いと栄光化のために。