2013年12月24日火曜日

説教集A2011年:2010年12月24日降誕祭夜半のミサ(三ケ日)



第1朗読 イザヤ書 9章1~3、5~6節
第2朗読 テトスへの手紙 2章11~14節
福音朗読 ルカによる福音書 2章1~14節
   クリスマスは、全宇宙の創り主で全知全能の神の御子が、私たちの歴史的現実の中に人間となってお生まれになったことを記念し感謝する、喜びと希望の祭りであります。ご自身に特別に似せて人間をお創りになった、と聖書に啓示されているその人間の姿をとって、私たちの歴史的現実の中にお現れになったのです。ということは、神よりのその人、救い主イエスの生き方の中に、私たち人間の本当の生き方の模範が示されていると申しても良いでしょう。

   その人は、神としては計り知れない程の無限の富と絶対の権力の持ち主ですが、人間としてはそれらの一切をあの世に置いて、罪の闇に抑圧され苦しんでいるこの世の人間社会の最も貧しく弱い者たちの所に、貧しく弱い幼子の姿をとってお生まれになりました。その人間社会の最上位には、当時ローマ皇帝アウグストゥスが君臨し、シルクロードを介しての東西世界の国際貿易を積極的に支援して、驚くほど豊かな富と軍事力を保持してオリエント・地中海世界の平和と繁栄を安定させており、民衆からは「世の救い主」と崇められ賛美されていました。そしてこの社会的豊かさの中で、人口移動が国際的に激しくなっていたので、税制の公平さのためにも14年毎に全領土の住民に住民登録をさせる勅令を発しました。その最初の住民登録は、多くの地域で紀元前8年に施行されましたが、ローマの属国となっていたヘロデ王の支配するユダヤでは、まだ識字率が低いため住民が登録のために各々自分の出身地に集められ、顔を見比べながら役人に記録されるという登録方法に不満を持つ人たちの暴動を阻止するため一年遅らせ、シリア州での住民登録が終わった後の紀元前7年に、強大な国境警備軍を持つシリア州の総督クリニウスの軍事的圧力の下で行われました。ただ今ここで朗読された福音の始めにも「クリニウスがシリア州の総督であった時に行われた最初の住民登録」とありますように、この最初の住民登録の時に救い主がダビデ家に属するヨゼフの出身地ベトレヘムにお生まれになったのです。ローマ帝国の住民登録は、紀元6年にも二回目の住民登録が行われましたが、『使徒の宣教』5:37に述べられているように、その時ガリラヤで発生したユダヤ人の反乱は厳しく弾圧されました。住民登録に対する不満や反対があまりにも強いので、アウグストゥス皇帝が紀元14年に没すると、その後はもう行われなくなりました。しかし、その最初の住民登録により、救い主イエスの名がこの世の人類社会の歴史の中にはっきりと書き留められ、登録されたという意義は注目に値します。単に生後一週間で割礼を受け、ユダヤ人としてユダヤ社会に認められただけではなく、諸国民を統合し支配していた当時のローマ帝国の一員、人類の一員としてその名が登録されたのですから。そして長じて全人類の救いのため大きな働きを為すよう神から召され、事実その使命を立派に成し遂げるに至るのですから。

   神の御子のこの誕生は、高度に発達して人々の生活を極度に便利にまた豊かにしつつある現代文明の恩恵を受けている人々の、心の問題の解決のためにも大きな意味を持っていると思います。45年前に日本青少年研究所が、日本・中国・アメリカの高校生それぞれ千人に対して、自分に親に対しての意識調査をしたことがありました。「将来自分の親が高齢になって手助けなしに生活できなくなった時、親の面倒をみる」と答えた生徒は、中国は66%、アメリカは46%なのに対して、日本はわずか16%でした。「親は自分の子供に介護されることを喜ぶか」という問いに対しても、中国とアメリカはイエスと答えた返事が70%なのに対して、日本は30%でした。今の日本の若い世代における親子の心の断絶を示した、真に衝撃的な数値ですが、心理学者たちによるとその原因は、1歳から6歳頃までの子供の心の情緒が発達する時期に、一番必要としている親子の心の交流の不足している家庭が、最近の日本には極度に増えて来ていることにあるようです。両親の共働きや、テレビ並びに子供の一人遊びに便利なパソコン器具の普及などと関係しているのかも知れません。

   戦前のまだテレビもラジオもない貧しい農村で生まれ育った私は、小学校に上がるまではいつも父母の傍で優しい言葉をかけられたり、愛撫されたり、童謡やお伽噺を聴かされたりしていましたが、今思うと、それらが私の心の情緒や情操を育てて、対人関係を円満にする心の力を目覚めさせてくれたのではないかと、感謝しています。最近は人間の脳の研究が盛んで、精神科医や発達心理学者や幼児精神医学者たちの研究を総合してみますと、人間の大脳は胎児の時から急速に造られ始め、お腹の赤ちゃんに話しかけたり歌を歌ってあげたりしても、胎児なりにそこに込められている情緒的な愛を受け止め始めているのだそうです。そして生まれた時には既に大人の脳の50%は出来上がっており、それから小学校1年生の満6歳頃に論理的思考が始まるまでの間に大脳の90%は完成し、胎児期からこの6歳前後までの間に、子供の心の情緒の基盤が造り上げられるのだそうです。この期間に親との心の交流が不足し、邪魔者扱いを受けたりした傷を持つ子供の心は、大人になっても親とはどこか馴染めないものを抱えているそうですが、今の日本の若者たちの中には、そういう心の傷を持つ人が増えているのかも知れません。人間の脳は12歳頃に100%に完成し、20歳代から脳細胞は少しずつ剥がれ落ちて行くのだそうですが、クリスマスに当たり、心の情緒の基盤が造り上げられる満6歳までの子供の心の教育が温かく行き届いたものになるよう、特にわが国の家庭の若い親たちのため、今宵のミサ聖祭の中で神にお祈り致しましょう。

   そして私たち自身も、子育てのため人間関係の面でも経済的にも様々な問題を抱えている若い親たちのため、可能な限り温かい援助の手を差し伸べ、これからの社会のため思いやりのある子供を育て上げることができるよう支援しましょう。余談になりますが、私は2年余り前に派遣切りで失職した四日市の56歳の仏教信者の依頼を受け、保育園児から高校1年まで5人の子供を抱えているその家族の生活を、私の乏しい小使い銭で支援するため奮闘しています。昨日もその家庭を訪問して来ました。そしてこれらの体験を通して、貧しく弱い幼児の姿でこの世にお生まれになった救い主の誕生・クリスマスを喜び祝う目的の一つは、私たちも小さな幼児のような素直な心に立ち帰って、貧窮者や困窮者とも心を分かち合うことにあると思うようになりました。貧しさを厭わない神からのその温かい愛が、私たちの心の中で新しい実を結ぶよう神の恵みを祈り求めましょう。

   昔の聖人たちの伝記を調べてみますと、聖人たちの中にはこのクリスマスの季節に、か弱い幼児のお姿でこの世にお出でになった救い主と内的に深く一致するために、自分もこれまでの大人の心、大人の考えから離れて、この世に生まれたばかりの幼児の心に立ち帰り、幼児救い主と共にこれからの自分の人生、これからの新しい一年を父なる神に献げ、そのための幼児救い主のご指導やお助けを願っていた人たちが少なくなかったようです。古い時代の一つの伝統なのでしょうか。彼らの心はそのようにして、神から新しい恵みや力を豊かに受けていたようです。先ほども申しましたように、生まれたばかりの幼児の心は、情緒や情操の面ではすでに目覚めていて、神や外の世界からの導きや指導を一心に求めていると思います。その時の素直な心、純真な心に立ち帰って新しく生き始めて欲しいとの願いも込めて、救い主はか弱い幼児のお姿でお出でになったのかも知れません。私たちもこのクリスマス・お正月の季節には、お互いに幼児の心に立ち帰って相互の心の交流や、子供たちとの温かい心の交わりなどに心掛けましょう。きっと神から喜ばれ、豊かな内的恵み、クリスマスの恵みを頂くと思います。